/1年前
極寒の地。そこは正にその表現がふさわしかった。
凍てつき吹雪が覆う深山。辺りの木々からはその生命の息吹は感じさせない。
その場にいるもの全てを凍りつかせるほどの場所だった。
生命はそこではるかかなたにやってくる春を待つために眠る。
または数少ない食料によって細々と生き延びる。
それが自然の掟であり、それがはるか昔から続いていた。
そんな中、そこには1つの建造物が存在した。
外界からは完全に遮断された僻地にその城はそびえ立つ。
むしろその場にあるのは率先して外界から自分たちを遮断する目的があったのだから、十分に意義を果たしていた。
魔術師、と呼ばれる存在がある。
魔術とは人為的に神秘や奇跡を再現する行為の事で、魔術師はそれを行うものである。
定式の原理からは乖離した存在ではあるが、あくまで一般の者たちが行えるものに過ぎない。
例えば火をつける行為。魔術を使って行う事も出来るが、基本的に摩擦程度で簡単に起こす事が出来る。
例えば風を起こす行為。これも規模は小さいながらも人力で起こそうと思えば出来る。
例えば物を破壊する行為。これは火気の発明でいずれは魔術を超えるものができるだろう。
このようにして人類の進歩と共に魔術を行うよりも科学で行う方が手間がかからない例が増えてきた。
結果、魔術でしか行えないものは減り続けている。
それでも今なお魔術ではないものが存在する。
それが魔法と呼ばれしもの。
人がどのように技術を用いても実現不可能な存在。
いずれはこの魔法と呼ばれるものは消えてなくなるだろうが、それでも当分の間実現されないだろうものがある。
本来魔術師が目指すのは魔法ではなく、それを行使できる存在である根源である。
だが、その城に住むものたちはあくまで魔法の1つにこだわっていた。
その年月は実に8世紀にも及んでおり、数十年もたてば900年を突破する事になる。
長い期間、凍てついた深山において他の魔術師ですら近づけさせず、その城の者たちは己の力のみで至ろうとしていた。
だが、そんな彼らを待っていたのは果てない失敗と挫折でしかなかった。
そう、800年と言う期間は所詮失敗の歴史でしかなかったのだ。
それがアインツベルンと呼ばれし一族の歴史である。
こうなってしまったのにはわけがある。
なぜならば、アインツベルンの始まりの時においては魔法を用いる者、すなわち魔法使いが存在したからだ。
しかしそれは魔法使いの死によって永久に失われてしまったが……。
魔法使いの存在を再び作ろうと魔術を用いてその存在を複製しても魔法使いにはならない。
複製であっても別人であるのだから。
そうして流れる事800年。
魔法使いがその魔法を用いてまで成し遂げようとしていたその目的。それに至るまでの探求と情熱が執着と妄執になってしまっていた。
彼らは独力での達成をあきらめ、他者との協力を余儀なくされてしまった。
アインツベルンがかつて成し遂げていた魔法、それを他者の協力を得ないと再び手に入れることが出来ない。
それが屈辱でなくて何だというのだ。
とは言え、そうする事によって一歩、いや、一歩手前まで近づく事が叶った。
手段は得た。後はその手段を行うだけとなったのだ。
その手段は、その性質からこう命名された。
聖杯戦争、と。
/
魔法の釜。それは伝説や神話などによって語り継がれる存在。
聖杯と名を受けてはいるが、その性質は魔法の釜であり、救世主の血を受け止めた存在ではない。
すなわち、根源に至る事により魔法へと至る事を目的とした、いわば万能の釜である。
そしてその聖杯にふさわしい存在として選定されるのが7人。
彼らはたった1つの聖杯を手に入れるために選ばれなくてはならない。
その手段は、人類の歴史にごく一部だけ現れる存在。人類の栄光の象徴、救いの主役、
すなわち英雄をサーヴァントとして召喚し、マスターとなる事でその英雄と共に他の候補者を倒し、残る事にある。
と言ってもこれはあくまでここ数十年で考えられた虚言に過ぎない。
本当の手段は別にあるが、それを一般の参加者が知る必要はない。
本当の手段などその聖杯の本当の価値がわかるものだけ知っていればいいのだから。
アインツベルンが60年以上前、協力者と共に行った聖杯戦争は結果的に失敗に終わる。
それはアインツベルンと協力者たちが己の野望をさらけだしてしまったためにある。
それほどまでに聖杯は魅力あるものであったが、さすがに以前の失敗を繰り返すわけにはいかなかった。
そこで考え出されたのが表向きの手段。
これによってその聖杯戦争の基盤を創りあげたアインツベルンらとは別の所より参加者を持ってこようとしたのだ。
つまり、アインツベルンはその聖杯戦争において参加者の1つにまで成り下がった。
が、当然の事ながらそれだけに留まろうとするアインツベルンではない。
協力者の1つ、マキリはせいぜい300年。1つは別の魔法使いであるゼルレッチを大師に持つと言えども歴史はない遠坂。
一般参加者は元より協力者たちとですら同じ土俵に立つつもりは全くなかった。
したがってアインツベルンは前回そのための手段を講じた。
召喚される英雄は現実世界に留まるよう、クラスを割り振られる。
剣をふるうもの、セイバー。
槍を突き出すもの、ランサー。
矢を射るもの、アーチャー。
騎乗するもの、ライダー。
詠唱するもの、キャスター。
暗殺するもの、アサシン。
狂うもの、バーサーカー。
英雄にも格というものがあり、より強力な英雄を呼び出すべくその英雄ゆかりの品を触媒として召喚を行う。
前回、アインツベルンはそれによって大英雄を呼び出し、万全の状態で挑んだ。
手段は分かっていたから残るはマキリと遠坂を屈服させるだけだったが……結果的にそれは失敗に終わった。
聖杯の独占権を巡って開始からさほど期間を置かずして失敗という結末を迎える事は分かっているが、詳しい事は何一つ判明してない。
なぜなら基盤作成の者もマスターとなった者も帰ってはこなかったのだから。
真実は闇の中であったが、失敗という一言で片付けられるだろう。
結果的に表向きのルールは作られる事となった。
そして、戦闘形式が違うならばまた違った結末になると信じて。
/
「……いよいよ、か」
窓に付着した水滴を手でふき取りながらその人物は外の景色を眺める。
当然外の景色と言っても1メートル離れればもはや見えないほどの猛吹雪。
その人物はそれを見てそのような言葉を発したわけではない。
そんな言葉を発したのはアインツベルンという魔術の家系が積み重ねた歴史の重さから来るものだった。
ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン。アハトの通り名で知られる魔術師。
まだ60前後というアインツベルンの魔術師としては異例の若さで8代目当主についた者だった。
彼の知識に前回の聖杯戦争のことはあるが、思い出としては全くない。
彼が生まれる頃には既に過去の出来事だったのだから。
先代の当主が死ぬ間際の表情、それをアハトは忘れられなかった。
「そなたは私を軽蔑するであろうな。外界の輩と組まねば手段すら見出せなかったこの不甲斐無い有様を……」
先代の顔は屈辱と無念にのみ彩られていた。
そこには安らぎなど微塵もありはしなかった。
「だが、その屈辱は私が地獄の果てまで全て引き受けよう。そなたは手段を用い、必ずや天の杯を成就せよ」
彼は最後の言葉までアインツベルンの妄執に支配されていた。
その表情、その言葉。全てにアインツベルンという名があった。
アハトは先代の無念を晴らすためにも何としてでもその手段を用いて事を成し遂げたかった。
全てはアインツベルンの悲願のために。
そして、そのためにはいかなる手段をも講じる事をためらうつもりはなかった。
当然その手段の範囲はアインツベルンという伝統の中にあったが、それ以外でためらうつもりなど毛頭なかった。
そう、いかなる手段をも……。
「当主様。クリスティーナが参られました」
「通せ」
ドアの外から聞こえてくる侍女の声に感情が一切こもっていない冷淡な一言で返答する。
当然身体どころか顔すら窓を向いたままだった。
音を立てずにドアが開かれる。
そして、入ってきたのはまだ二十に満たない少女だった。
御伽話に出てくる精霊をそのまま形にしたような、そんな少女だった。
だが実際にアハトにはその姿は皮肉以外の何物にも映らなかった。
なぜなら、その少女はかつての魔法使いを元にして創られた人工の存在。
言わば魔法使いとしての失敗作に過ぎないからだ。
が、その失敗作が成功作品となる日はそう遠くない。
今まで培ってきた数世紀にもわたる歴史と比べれは瞬いた瞬間程度にしか感じない期間の事だろう。
であるからアハトはこれまでにないほど機嫌がよかった。
「当主様。クリスティーナ、参りました」
「ああ、クリス。そこまでかしこまらなくてもいい。今さらアインツベルンの事に関して述べても意味がないからね」
恭しく頭を垂れながらひざまずくクリスティーナと名乗る少女の方に顔を向け、アハトは笑みを浮かべた。
人工の存在、すなわちホムンクルスに対してですら温和な態度になるほどの上機嫌さに自分でも驚く。
「まずは『フィール』の襲名おめでとう。私は君がその名を受け継ぐと確信していたよ」
「かたじけないお言葉です」
表情を顔に出さずその言葉をありがたくいただくクリスであったが、内心では動揺していた。
なぜなら自分が『フィール』の名を継ぐと言うことは、他の候補者を蹴落とした事に他ならない。
脱落したホムンクルスの行く末など決まっているようなものだ。
だがそれに罪悪感も後悔もない。自分は自分の最大限の事を尽くしたのだから。
「さて、今回用意した遺物だけど、私は君が『フィール』となると確信していたから君の希望をかなえる事にしたよ」
「え……?」
その言葉を聞いてクリスは面を上げて目を見開いた。
それを見てアハトはまたはにかむように笑みをこぼした。
「まあ、君の希望は『剣の英雄』としては間違いなく最強の1人だったからこそ他の老人たちも納得してくれたんだけどね。
もちろん他の候補者たちには内緒だったけど」
「当主様……」
思わず涙腺が緩むクリスだったが、今ここがどこで誰の前にいるかを思い出して感情の昂りを必死で抑える。
そして表情が見えないよう命いっぱい頭を下げた。
「私ごときのためにもったいない御厚意に与り、恐悦至極です」
「だからそうかしこまらなくてもいいって」
そう、アハトはそれほど上機嫌な理由があった。
今回、マスターとなるべく選定された者はたった一人でなく何人もいた。
その中でも特に優秀だったのがクリスだったのだ。
前回基盤を作成した者やマスターとなった者がどれほどであるかは知らなかったが、老人たちの話ではクリスは彼女らと遜色ないとの事だった。
ならば、後は英雄とマスターのサポート役次第だった。
その英雄に関して以前アハトは何気なくクリスに聞いた事があった。
クリスはマスターの候補であったから、魔術における生来の性能やその修行は元より、敵サーヴァントの真名を知るようあらゆる神話、伝承が叩き込まれる。
クリスはその中でも一人の剣士にあこがれた。
それをそのままアハトに口にしたのだった。
それをアハトは叶えた。
当然クリスの願いを叶えただけでなく、アインツベルンが悲願を達成するのにふさわしい英雄だと確信したからだ。
その何気なく聞いた直後からその英雄に縁ある品を探索し、ついにこの城に届けられた。
ゆえにこの品を用いれば、間違いなく最高の剣の英霊が召喚される事となるだろう。
「で、君を正式な『フィール』継承の儀の前に呼び出したのは残念ながら世間話をするためじゃない」
だがアハトは顔を引き締め、魔術師のそれに戻す。
これから話す事は日常会話程度の事では済まされないからだ。
「クリスティーナよ、おまえにはその儀に同時に召喚の儀を済ませてもらう」
「……!」
魔術師の言葉として、アインツベルンの当主として述べられた言葉にクリスは内心で驚いた。
召喚の儀を済ませる。
それはすなわちこのアインツベルンの城で英雄を召喚すると言う事だ。
聖杯戦争が行われている地よりはるか遠くのこの城で、だ。
『フィール』を継ぐ事が決定してからクリスには紋様が出来ていた。
人類史に残る英雄、それを統べるべく与えられし『令呪』の兆しだった。
これがある限り確かにあらゆる場所で召喚は可能ではある。可能ではあるが、
聖杯の加護を受けずに召喚に踏み切る事になる。
本来英霊の使役どころか召喚そのものですら奇跡と呼ぶにふさわしいもの。
それを聖杯は手助けをしてくれる。
これによって英霊に劣る魔術師が神秘を発揮し、召喚を執り行う事ができるのだ。
だがそれは基盤のある土地で聖杯戦争の時期に行えばの話。
これだけ遠く離れた地でこの時期に召喚に踏み切れば間違いなく術者のみの力に頼る事となる。
そして、その維持にもまた彼女自身の力が必要となるのだ。
「分かっていると思うがおまえが呼び出そうとしているセイバーのクラスは最高の位。
ならば地に有利がある遠坂やマキリめがおまえの現地到着の前に既に召喚を行ってしまう可能性が高い。
そうならないためにも出発前に儀を済ませる事で確保をしておくのだ」
「……御意」
確かに言っている事は正論ではあったが、クリスにはためらいがあった。
修行や身体の調整の間も絶え間なくあこがれていた英雄、それを果たして自分だけで召喚できるのだろうか。
もし不完全な形で召喚されたら……いえ、絶対に召喚してみせる。
クリスの考えには召喚される英雄の事はあっても自分に起こるだろう事は何一つ頭の中になかった。
それがどんな結果をもたらすのか分かっていても。
そうして向かえた『フィール』拝命の儀。
その瞬間、クリスティーナは『フィール』が付いた新たなる名前を授けられる事となった。
そして、彼女の運命の方向もまた決まったのだった。
彼女を待つのは奇跡か、それとも破滅か。
彼女の未来は彼女自身が召喚する英雄に託されていた。
「クリス……ではなかったな。それでは……」
「クリス、でかまいません。私が『フィール』の名に本当に相応しいかはまだ分かりませんから」
儀は終了し、いよいよ召喚の儀へと移る。
アインツベルンの城に住む魔術師たちは召喚される英霊がどのような存在であるかは話では聞いているが、実際は知らないも同然だ。
当然皆がアインツベルンの悲願のため、クリスの補助に回る事になっている。
「……ではクリスティーナ。召喚の際の魔力に関しては私たちが補助するが、維持はおまえ1人でやってもらうぞ」
「了解しております」
既に礼拝堂の床に水銀で描かれた魔方陣、それを丁寧に確認しながら答えるクリス。
その表情は少女でありながら魔術師のそれだった。
それを見て魔術師の1人は頼もしい、と思う。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師アインツベルン。
降り立つ風には壁を。四方の扉は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
そうして儀式が始まる。
手順などもはや目をつぶっていても、騒音があたりに響こうとも失敗はないほどに練習した。
だが念には念を入れ、彼女は慎重に儀式を執り行う。
「
繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
その場にいる者の悲願は共通していた。
しかし、クリスの悲願はその一歩先にまで行っていた。
これはアインツベルンの魔術師が忘れかけている、手段と目的の正しい受け取り方でもあった。
そして、かならずや達成しよう。これから呼び出されるであろう最高の存在と共に。
「告げる――。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るベに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
そして次第に術者たちから陣の方へと魔力が集中していく。
そこからあふれ出る奔流にすら周りにいた魔術師たちは魅了されたが、この程度などこれから成し遂げるものと比べたら些細なものに過ぎない。
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
召喚者たるクリスの魔術回路が悲鳴をあげる。
本来ならば決戦の地で行うはずの召喚をこの遠く離れた地で執り行う事での彼女への負担は、通常の召喚の比ではなかった。
だが、その弱音を一瞬で捨てて召喚に集中する。
こう、成功すればこの悲鳴など問題にならない。
「汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
そうして陣に集まる魔力がそれを燦然と光輝かせ、そこから雷と風を生み出す。
思わず怯む魔術師たち。
しかし、彼らはその現象そのものよりそれによって成し遂げられた結果に心奪われた。
陣の中央に立つ存在。それこそがこの儀式によって成し遂げられた結果であった。
その整った顔には大きな切り傷があり、その眼は何よりも鋭い。
黄金にたなびく髪は獅子のごとく、そして身体にかかる赤のマントは鷲のごとく。
黄金の装飾のある白銀の鎧は傷だらけで、だがその機能は失われていない。
そして、何よりも目をひいたのはその巨大とも言うべき剣であった。
その剣はその存在そのものよりも長く、まるで自身よりも巨大なものを両断するために作られたように思える。
当然盾は存在せず、その剣を両手持ちで行うのだろう。
召喚者たるクリスは確信した。これが物心ついた頃からあこがれた、最高の英雄であると。
アハトもまた確信した。この戦い、勝利を収めるのはアインツベルンであると。
魔術師たちも確信した。今度こそ悲願を達成できるだろうと。
「――誓いをここに」
その存在は数多くいる魔術師の中でもクリスの方へと顔を向ける。
そのちょっとしたしぐさだけで魔力を奪われるクリスは苦悶の表情を見せまいとする。
「我が名はシグルズ。貴女の運命は我が剣と共に。我が信念は貴女の悲願と共にある。契約は完了した」
そしてその存在。セイバーのクラスを与えられた北欧神話の英雄はクリスの前にひざまずいた。
剣を横にし、あたかもささげるかのように。
自ら感じる痛みなどクリスはどうでもよかった。
ただ彼女はその存在に魅了されたのだ。
彼女はこれより一年も満たないで彼と共に勝ち抜く。
全てはアインツベルン……とその礎となった者たちの悲願のために。
彼女は歓喜するのだった。その存在と共に歩める事を。
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セイバーはクリスの負担を考え、現地につくまでの間は霊体となっている事となった。
クリスはそのセイバーの補助、そして敵対するマスターとの戦いのために訓練を重ねてきた。
だが、それは魔術師としてのものであり執行者のように戦闘に特化した存在にはかなう術がない。
いくら外界から隔離されたとは言え、情報ぐらいは逐一入ってくる。
神秘は失われているが、技術は年々進歩をたどっている事も把握している。
ゆえに、クリスという魔術師として優秀なマスター、セイバーと言う最高のサーヴァント。これ以外の手駒が必要であった。
これはまた前回の教訓を生かしたものではあったが、あくまで他の老人たちは保険程度にしか考えていなかったようだ。
その人選ももはや決まりつつあった。
「……お館様。ディートリッヒ、参りました」
「ああ、入りたまえ。鍵はかけていない」
「かしこまりました」
扉が音を立てずに静かに開く。
入ってきたのはアインツベルン特有の侍女服に身を包んだ女性であった。
若干クリスより年齢は高く見えるが、それでも少女に違いはなかった。
その場はアハトの部屋ではなく、他の主な魔術師が集う円卓の間。
その中央の空間にディートリッヒと名乗った侍女はひざまずいた。
その動きは侍女として気品があり洗練されていた。
「ディートリッヒ、参りました。ご用件のほどは」
「ああ、そうだったね」
アハトは紙に形式的に書かれた文章に眼を通しつつ侍女を見つめる。
他の者たちはその侍女に視線を注目させていた。
「君はじかに見ていないだろうけれど、先日新たなるフィールの称号を授かった人物がセイバーを召喚した。君も知っているだろう? 聖杯戦争の事を」
「もちろんでございます」
アインツベルンに仕えるものであるなら聖杯戦争の事を知らないものなどいない。
ましてやそれの重要性など。
「呼んだのは他でもない。フユキの地に行き、聖杯戦争の手助けを行うのだ」
その言葉に侍女は困惑した。
一介の侍女の身である自分が何故その事で呼ばれるのか、と。
当然の事ながら侍女であっても彼女は魔術の修行を行ってきた。それは義務ではあったが、率先していた部分もある。
彼女、ディートリッヒはクリスと同じように人工的に創られた存在、ホムンクルスだ。
アインツベルンのマスターとなる事はすなわち聖杯戦争で聖杯となる『器』を管理する事に他ならない。
ディートリッヒはその点において早くから失敗作の烙印が押されていた。
アインツベルンにおいてホムンクルスの失敗作は、廃棄を意味する。
そうならないための別の道として存在するのがアインツベルンの魔術師の補助という役割だった。
いくら失敗作でも研き方次第で魔術師として見るならば優秀であるには違いない。
ディートリッヒには廃棄されたくない理由がある。
それは単純に自分のためではなく、かつて出会った1人の少女のため。
他のものたちと同様に廃棄される運命にあったディートリッヒは極寒の山林で彼女と出会った。
それは正にディートリッヒにとって運命的な出会い。
凍てつく寒さの中、彼女はディートリッヒに触れた。
その手はとても暖かいものだった。
「あなたは大丈夫よ」
そして、生まれて初めてそんな温かい言葉を聞いたのだった。
その言葉だけを支えにディートリッヒは努力を重ねた。
次々と他の仲間が失敗作として処分されていく中でも、後ろを見ずにディートリッヒは進んでいった。
それがどれほど心痛む事であっても、彼女の言葉を無駄にしないために。
後に彼女はクリスだと分かる事になる。
そうしてディートリッヒは魔術の道を進んできた。
進んできたのだが、彼女は自分よりも優れた魔術師が大勢いると思っていた。
だからこそ自分が呼ばれるのは不相応だと確信していたから、クリスの召喚にただ感動した。
なのに何故自分が呼ばれるのだろうか?
「私が、ですか?」
だからこそディートは疑問形でかえす。
本来なら許されないほどの無礼な行為。だがディートはそれをせずにはいられなかった。
「私以外にも優秀な人材はございます。どうか御考え直しを」
「ならぬ。既にこれは決定事項だ」
既に取り付く島などなかった。
拒否をすれば間違いなく自分は廃棄される事となるだろう。
だがその事で他の自分より優秀な人材がクリスにあてがわれるのであればそれでよかった。
ゆえに、
「謹んでお断りいたします」
彼女はそう断言した。
これにはアハトは困った。
彼の見解ではディートリッヒこそがその優秀な人材で、謙遜にもほどがあると感じていた。
だが彼女は自分の事は全く考えておらず、常に周りを考えているようであった。
それでもこれだけ断言をするのだから通常ならば即処分ではあったが、彼女だけはそうはいかなかった。
そう、彼女には行ってもらわねばならないのだ。
「なら君を処分し、代わりのものをあてがえない事にしよう。既に人員は決まっているから当然の措置だな」
「な……っ!」
だからこそこう言う。
代わりの人材を与えない。それはつまりディートの判断でクリスを危険に晒している事に他ならない。
そんな展開になればディートの返事など決まっているようなものだった。
「……分かりました。それではすぐに荷物を整え、支度の準備をしてまいります」
「ああ、頼んだよ」
会釈をするディートにアハトは微笑む。
それは心からの賛辞などでは当然ない。
そのまま恭しく彼女は退出していった。
そうして残ったアハトと他の主な魔術師。次の人選が来るまでには時間があった。
「……ディートリッヒの役割はなんでしたっけ?」
そのうちの1人が口を開く。
それは当然の事ながら分かっている事ではあったが、本題前の話題にはちょうどいい。
「魔術による回復、補助、攻撃。それから食事、炊事などの家事一般ですね。以前食べてみましたけれど、彼女の料理の腕は中々のものでしたよ」
アハトは笑みを浮かべたまま答える。
この場にいる魔術師は全員アハトより年上で、当主となった今でも彼らに対する態度をアハトは変えようとはしなかった。
「魔術の腕はクリス以外の候補者だったものを上回っています。それで今回選定させていただきました」
「ふっ、戯言をおっしゃりますな、当主殿」
魔術師の1人がくっくと笑う。
それは当然。ディートリッヒの真の価値についてはこの場にいる誰もが知っている事であった。
逆に、その事は他の者は全く知らない。
クリスや、ディート本人ですら。
「本来ならばディートリッヒこそが今回のマスターとなるべく潜在能力を秘めていた。それを……まさかかの『蛇』に付け入られるとは」
「左様。あやつの選定条件は『潜在能力』と『ある程度の地位を持つもの』である事は分かっていたが……」
「確かにアインツベルンの魔術師である以上、地位は望めようが、な」
口々に述べる魔術師の言葉をアハトはバックミュージックのごとく聞き流す。
もはやお決まりの会話。
うんざりしてはいないが、聞き飽きたフレーズではあった。
「それについては皆さん、納得がいったのではなかったのですか? かの者の覚醒はちょうど聖杯戦争の期間内。それを利用しない手はない、と」
そう、それはディートリッヒが創られたその日から長く議論され、出た結論であった。
ディートリッヒが創られた日。アインツベルンの魔術師たちは戦々恐々する事になる。
魂に関する魔法に至ろうとしていた彼らだからこそ発見できた事柄であった。
そう、『蛇』の存在を。
当然魔術師であるアインツベルンの者たちは『蛇』の存在をいかにすべきか議論を行った。
そして即抹殺するか、それすら最大限に利用するか、の意見に別れる事となった。
そうして結果的にそれすら最大限に利用する事となったのだった。
当然それすら扱うのだから賭け程度で済ますわけにはいかず、それを利用するための布石はいくつも用意しておいた。
そうして扉を軽く叩く音が軽やかに聞こえてくる。
「……当主様。ヨハンナ、参りました」
「入りたまえ。鍵はかかっていない」
「では」
音を若干立てつつすばやくドアが開き、すばやく閉まる。
そして普通に歩いているにもかかわらず現れた人物はディートよりも速く中央にひざまずいた。
「ヨハンナ、参りました。ご用件のほどは」
「君はじかに見ていないだろうけれど、先日新たなるフィールの称号を授かった人物がセイバーを召喚した。君も知っているだろう? 聖杯戦争の事を」
「私にフユキの地へと赴け、とおっしゃるのですか?」
ディートよりもはるかに早くに話が進む。
それにアハトは笑みで返した。
「ああ、そうだ。君には拒否権などないからな。それは君自身がよく分かっているだろう」
アハトの言葉にヨハンナと呼ばれたその人物は表情をしかめた。
アインツベルンのホムンクルス、それが意味するのは、誰もが似たような姿となる事だった。
なぜならばその大元は同じ存在であり、その存在を再現するために創られるのだから。
しかしクリスとディートに若干の違いがあるように2人とヨハンナの姿もまた若干異なっていた。
ヨハンナは最後までクリスと『フィール』を争った候補者であった。
そして、一番最後に失敗作の烙印を押されたものでもあった。
「断れば廃棄、それはおまえが一番よく分かっているはずだぞ」
「……」
ヨハンナは拳をひそかに握り締める。
そして、
「お断りいたします。廃棄処分でもかまいませんので、人選の見直しを要求いたします」
「そうか……」
アハトにとってはヨハンナの答えは予想していたものであって、捻りも何もないものであった。
彼から見てヨハンナはアインツベルンの誇りがクリスよりも強かった。
彼女にクリスほどの能力があれば迷う事無くヨハンナを新たな『フィール』としただろうが、残念な事に魔術構成に若干の無駄があった。
手先が器用で武器を扱った、いわゆる戦闘面ではクリスを上回る事は分かっていた。
だからこそ彼女をクリスと共にかの地に送り込みたかった。
「だがヨハンナ。実はおまえにはもう一つやるべき事がある」
「え?」
だからこそアハトは本題に切り出すことにした。
「おまえの他にクリスティーナと同行させるのはディートリッヒとジェニファーなのだが……」
「それは存じませんでした」
ディートリッヒはディートと、ジェニファーはジェイナと呼ばれてはいるが、この2人の事はヨハンナもよく知っていた。
二人とも早々と候補者から脱落したが、ディートは魔術師として、ジェイナは何らかに特化した戦闘面で選ばれたと。
そして、他の者たちが廃棄される運命にある事もまた。
だがそれが自分と何の関係があるのだ。とヨハンナは思う。
「おまえのもう一つの任務はクリスティーナ、ディートリッヒ、ジェニファーの監視だ」
「監視、ですか?」
それはおかしい。とヨハンナは眉を細めた。
アインツベルンのマスター、そしてそれに従う者であるなら監視する必要など全くないはずだ。
マスターでも侍女でもその悲願は同じなのだから。
それをわざわざなぜ?
「当主殿もお人が悪い。本題を早急に切り出せばよいものを」
くっくと笑いながら今までただ聞いていた魔術師が口を開く。
実際その場はディートやヨハンが知っている円卓の間ではなかった。
そう、いつもと全く違ってその場が暗くよどんでいないのだ。
いつもならば失敗と苦悩に彩られているその間も、先日の英霊召還と言う奇跡を目の当たりにした事で払拭されていた。
前回の時には現地で基盤を作った後に儀式を行ったので実際に見たわけではないのだ。
だからこそその魔術師もまた笑顔を見せられるほどに機嫌がよかった。
最もヨハンナにとってはそれは耐え難いほど神経を逆撫でるものだった。
なぜならば英霊召喚などまだ過程に過ぎない。過程で上機嫌になれるほど彼女は満足はしていない。
そう、悲願達成してその時に喜ぶべきなのだ。
といってもこの老人たちはあの英霊を見て勝利と悲願達成を確信しているからこそ上機嫌なのだろうが。
だがそうやって前回は失敗した。自分がマスターとなれるほどであるなら確実に聖杯を持ち帰る事が出来ただろうに。
彼女は才能の事を思うと歯を噛み締める。
「ああ、確かにそうだな」
アハトも微笑は浮かべてはいるが、彼は当然油断などしない。
全てにおいて最善を尽くし、その『最善』の手段など問いはしない。
客観的に見てもそれが最善であるかはまた別問題として。
「ヨハンナ。『蛇』の事を知っているか?」
「蛇、ですか」
聖書でイブをたぶらかした存在。生物学上の蛇。神話にも蛇は存在する。
だがヨハンナが思い浮かぶどれもがアハトの言わんとする事柄とは違うようだと彼女は思う。
「いえ、それだけでは判断いたしかねます」
「そうか。ではこう言おうか」
彼は微笑を浮かべたままで、こう述べた。
「今代の『蛇』はディートリッヒだ」
「!?」
「本来クリスや君ではなくディートリッヒこそが今回のマスターとなるはずだった。それだけの潜在能力を彼女は秘めている」
「『蛇』の覚醒予想は聖杯戦争とおそらくは重なる」
「故にヨハンナ。おまえには同時に『蛇』をも手段として扱うよう命令する」
ヨハンナは老人たちの言葉にようやくその『蛇』についての特定ができた。
ヨハンナ自身はディートとは親しかったが、そのディートが『蛇』であるとは分からなかった。
だが、まさか『蛇』をも手段として用いる事を選ぶとは思ってもいなかった。
アインツベルンの誇りと歴史はどこに行ってしまったのだ。ヨハンナは心の中で嘆く。
それこそヨハンナとアハトの見解の違いというものだが、両者が交わる事はおそらくはないだろう。
「場合によってはサーヴァントを召喚してもかまわない。故にヨハンナ。君をそうだね……、ディートリッヒ同様北欧神話の存在から取り、
『ヨハンナ・ブリュンヒルデ・フォン・アインツベルン』と名乗るがいい」
「ブリュンヒルデ――」
それはニーベルンゲンの指輪において出てくるワルキューレの名前だ。
そして、シグルズと起源を同じとするジークフリートの妻でもある。
ワルキューレ、すなわちヴァルキュリーは主神オーディンのためにヴァルハラへと運ぶ魂を選定する。
その名をヨハンナは与えられた。
聖杯を扱うものとして『フィール』の名こそ得られなかったものの、その2つの名を与えられた事はとてつもなく光栄な事だった。
ブリュンヒルデは元よりアインツベルンの名が与えられた事が何よりも嬉しかった。
アインツベルン。当然それは一介のホムンクルスごときが名乗っていいものではない。
ディートリッヒやヨハンナは姓がない。ただお互いを呼ぶために番号ではなくて名前が割り振られるだけだ。
アインツベルンを名乗る事が許されるのはマスターとなるかそれと同様の重要性を持った者のみだった。
それをヨハンナも授けられたという事は、それほどヨハンナへの命令が重要であるという事だろう。
「この事をクリスティーナやディートリッヒに知られる事なく遂行せよ」
「かしこまりました。この授けられた名にかけましても必ずや」
アハトの勅命にヨハンナは凛々しいまでの声で返答する。
と、1つだけヨハンナは気になったのでアハトに聞く事にした。
「当主様。おそれながらお聞きいたしますが、よろしいでしょうか」
「ん? かまわない。言ってみるがいい」
「では……」
ヨハンナは若干ためらったが、決心をして聞く。
「ディートリッヒやジェニファーには何らかの名前が与えられたのでしょうか」
「ほう……」
いかにもヨハンナらしい質問だ、とアハトは内心で思い唇を吊り上げた。
自分に誇りを持っているのだからそう聞いてくるのはある意味当然な事だが。
「ジェニファーには裏の任務はない。よって新たな名前は与えていない。ただ……」
「ディートリッヒには与えている、と?」
「いや、与えてはいない。私たちが勝手に呼んでいるだけであって本人すら知らないものがある」
本人すら知らない名前?
それは本人は一介の侍女だと思っているが、実は期待を込めているというのか?
「『ディートリィナ・ロアフィール・フォン・アインツベルン』。かの『蛇』が我らの門に下れば一番聖杯に近いのは『彼女』だろうからな。
そうなるかどうかは全て君しだいだ。分かっているね?」
「御意に」
ヨハンナはうやうやしく一礼してその部屋を去っていった。
ディートにもフィールの名が与えられていた。だがそれはクリスのようなものではなく、ただ利用される存在として。
その事で若干心が揺らぐが、アインツベルンの悲願と比べればそれは押し込めなくてはいけないものだった。
そう、全てはこの無益な歴史に終止符を打つために。
「……お館様。ジェイナ、来た」
「ああ、入るがいい」
扉が遠慮がちに開き、最後の侍女服を来た女性が中に入る。
そしてディートやヨハンほど洗練されてはいない物腰でひざまずいた。
だがそれはその2人よりも頼もしく感じさせる。
「ジェイナ、来た。用件は?」
「分かっているだろう? 君を呼んだ理由はただ1つしかない」
なぜ彼女が話し方が誰に対しても変わらないのかは未だに分かっていない。
ただジェイナ、つまりジェニファーは誰に対しても平等に接しているようにアハトには見えた。
それは当主たる自分にも、廃棄寸前のホムンクルスにも同様に。
「フユキの地に行き、クリスティーナと聖杯を死守せよ」
「分かった。そうする」
たったそれだけのやり取りでジェニファーは部屋をあとにした。
裏の勅命がないジェニファーにとってはそれで十分であった。
魔術師ではなく、彼女はクリスたちの護衛として選ばれたのだ。
それは敵マスターに執行者クラスがいた場合、またはランサーやバーサーカーがアサシンと組んだ場合にクリスに襲いかかってきた場合。
それにそなえて彼女はマスターとなるだけ、つまり聖杯を扱う事を度外視して設計され存在であった。
故にディートと共に彼女は特殊な存在であった。
「今回の人選は以上ですが、この際意見をお聞きしましょう。念には念を入れてね」
沈黙が支配する円卓の間を破ったのはやはり当主たるアハトだった。
「何でしたらホムンクルス以外のアインツベルンの魔術師をサポートに行かせてもいいと私は思いますけれどね」
「いや、これで十分でしょう。戦力を整えすぎるとマキリと遠坂の輩が結託しかねない」
「左様。強力すぎれば他の者どもは真っ先にその最大の脅威から排除しようとするだろう。わたしはこれで申し分ないと思うね」
魔術師たちは口々にそう意見を述べた。
そう、ヨハンナに「第二のマスターとして参戦せよ」と言う命令をしようと思えば出来た。
それをしなかったのは前回と違い、今回が完全なるバトルロイヤルな点にあった。
バトルロイヤルはいかにして戦力を持つかではなく、いかにして生き残るかに絞られる。
絶対的有利な状況の場合、それを打ち破ろうと結託をする場合が考えられるのだ。
その結託すら破壊できる手駒なら話は別であったが、さすがにどのような事が起こるか未知数である以上慎重策をとるしかない。
ならば、見た目には他の者たちに「アインツベルンは同じ土俵に立っている」と思わせる事が最善であった。
「サーヴァントのクラスにはアサシンなる者もいるそうじゃないか。ではヨハンナにそれを召喚させる手もあるのでは?」
「我々だけが独断でそれを行えば遠坂めらとの協定はどうなる? 戦力集中を避けるために表向きのルールを決めたのではないのか?」
「それにマキリめはともかく遠坂めはそれほど聖杯にはこだわっていないぞ。破ればこの儀式そのものが破綻しかねない」
「その通りだ。フユキが使えなくなればユスティーツァたちの犠牲はどうなる? 先代様の苦汁が無意味ではないか」
今回の方針を話し合ったとき、結局は聖杯戦争を表向きのルールに従って勝利するとの結論で決まった。
最高のサーヴァントとマスター、そしてそれに付き従うもの。
それだけでも十分に悲願を達成できると確信していた。
老人たちは疑いはしなかった。あの英雄を間近で見たのだから。
来るべき数年後を予想して上機嫌でいられないはずがなかった。
……その試行錯誤はどのマスターとなる人物も行っているだろう事は分かっていたが、彼らがアインツベルンの錯誤を上回っている可能性は考慮の外だ。
そうやって失敗の数世紀を経ている事も考えずに。
「……そう。ディート、あなたが私の付き添いなのね」
「はい。恐縮ではありますが、私もお嬢様のお世話をさせていただきます」
ディートはその後、クリスへの報告を行うために彼女の部屋へと赴いた。
フィールの称号を持ったクリスの扱いはアインツベルンの魔術師と何ら変わりはなく、むしろ待遇はそれよりも良かったと言える。
内装には飾り気はあまりなく、むしろ本の方が多かった。
とは言え数ヶ月もしないうちに出なくてはならない部屋ではあるが。
「そう、と言う事は役割は……」
「魔術面でのサポートだそうです。私の魔術は戦闘よりむしろ補助に特化したものが多く、それを見込まれたものかと……」
「ああもう、違うってば」
クリスは少し声を高くしてまゆをひそめる。
それにディートは疑問を頭の中で浮かべる。
「私が聞きたいのは向こうでの役割分担よ。屋敷でのね」
「屋敷での、ですか?」
「ええ。炊事、掃除、洗濯。他にも色々とあるでしょう?」
その事に関してはディートの頭の中には全くなかった。
早くからマスターとして脱落していたディートは家事一般ができるようになっていた。
だからどれかに特化しているわけではなかったが、強いて言うなら料理が他の人よりも優れている程度だ。
とりわけ飛びぬけて上手なものもなく、何でもそつなくが自分だと思っていたから何にするかは決めていなかった。
それにディートは自分以外に誰が選ばれたのか全く知らない。
「他にお嬢様に同行する事になった人と相談して決めたいと思います」
「そう」
クリスはその言葉を不満そうに受け止め、じろっとディートを睨む。
ディートはその言葉遣いのどこがクリスの気分を損ねたのか迷っていたが、
「ディート、ちょっとあなたの言葉遣い堅苦しすぎないかしら?」
「え?」
その言葉に思わず間の抜けた声を発してしまう。
「この城にいるお館様や魔術師たちはともかく、私や他のみんなにまで他人行儀で、まるで自分を卑下してるみたいじゃない。どうにかならないの?」
「え、と……その……」
思わずあさっての方を見てしまうディート。
自分ではあまり意識してはいなかったが、思い返せば確かにそうやって言葉を使っていた。
だがそれを変える事には抵抗があった。
クリスのいっている通り、自分の立場からするならばそうした言葉遣いをする事は当然の事だと思っていたのだから。
「しかしお嬢様。私が侍女で貴女が主である以上、そうしないわけには……」
「ああもう!」
ディートの顔を指差して頬を膨らませるクリスに彼女は思わず苦笑いを浮かべる。
「私に仕えるならまずその言葉遣いを直しなさい。これは命令よ」
「……」
目を見開くディート。
クリスはそんなディートの瞳だけを一点で見つめる。
「あ……その……」
何て言うべきか、思考が空回りを続ける。
頭の中がこんがらがって、結局出た言葉は次のものだった。
「ぼ……ぼく……は……」
「はい、その調子で今後も頼むわよ」
顔を真っ赤にしながらうつむくディートの肩に手を乗せて小悪魔のような笑みを浮かべつつ楽しそうに言ったのだった。
アインツベルンの他の魔術師はともかく、クリスにとってはディートたちは下にいる存在ではなく、並んでいる存在だ。
言わば姉妹のようなものなのだから敬語は使って欲しくなかった。
城の中はともかく向こうに行けば自分が主人なのだから、そう接してほしくなかった。
まあ、その『姉妹』の中でも人一倍他人行儀なディートだからそうさせるというのもあるが。
そうしていると扉を叩く音が聞こえ、もう1人の人物が入ってくる。
「え……!?」
「……!」
その人物にはディートもクリスも驚いた。
そこにいたのはクリスと最後までフィールの名を争ったヨハンナ。
『姉妹』の中で最も誇りが高く、最も洗練されていた存在。
そんな彼女は気難しい顔をしつつクリスに優雅な一礼する。
「このたび私も聖杯戦争へと同行することとなりました。全てが至らない私めではありますが、どうかよろしくお願いいたします」
「……そう、あなたが私の……」
まさかそうなるとはクリスは思っていなかった。
今までクリスとヨハンの立場は同格だったのに、今はこうして上下の立場となっていた。
それをあのヨハンが認めているとはクリスには思えなかった。
さぞかし苦虫を噛み潰したようだと思ったのだが……、
「クリスティーナ。私はこの立場に満足している。この機会を与えてくださった当主様にも、それを認めたおまえにもな。
だからそうやって気落ちする事はない。おまえは他の者と同じように私を使えばいいんだ」
「ヨハンナ、貴女――」
彼女の言葉に嘘偽りは一切感じ取れなかった。
クリスの下についてもヨハンの気高さはそのままだった。
それにクリスは心底から喜ぶが、表に出すまいとする。
「そ、そう。それは嬉しいわ。ヨハンナ、どうぞよろしくね」
「ヨハン、とおよびください。フィールの候補者であったヨハンナではなく、皆が呼ぶように」
自分にヨハンが協力してくれるなら心強い。とクリスは感じていた。
が、ヨハンの思いは複雑だった。
なぜならクリスは『蛇』の存在を知らない。
それまで利用して聖杯を手に入れようとしているのだから、クリスはそれを良しとしないだろう。
クリスやディートまで騙して行うその手段。それを行おうとしているのだから。
(すまないな、クリスティーナ、ディートリッヒ。私は私のやり方で聖杯を手に入れさせてもらおう)
『姉妹』の事は大切ではあったが、天秤にかけるならば悲願の方を取る。
それがヨハンナなのだから。と彼女は確信していた。
どこかにわだかまりがある事は自分でも認めながら。
「クリス、どうやら私も行くみたいだ」
そう言いながら盛大にドアを開けて入ってきたのはジェイナだった。
それにはまるで貴族と言うより剣士の風格があった。
「ジェニファー。あなたが私の警護?」
「そうみたいだ。私はそうなって嬉しい。クリスはどうだ?」
「ええ。私も嬉しいわ、ジェニファー」
「ジェイナ、と呼んでほしい」
「分かったわ」
「ジェイナ、貴女……」
笑みで語るクリスと無表情に淡々と語るジェイナの間にヨハンがわってはいる。
そしてジェイナを睨みつけた。
「お嬢様になんと言う口の利き方ですか。もはや私たちとお嬢様は同じ立場にはいないのですから、その言葉遣いを……」
「かたい事いうなヨハン。少し考えすぎだ」
「貴女が考えなさすぎなのです……! そもそも貴女は礼儀と言うものが――」
「ちょっとヨハンもジェイナもやめてくださいよ! お嬢様の目の前でしょう!」
前々から言っていた事をそのまま懇切丁寧に……とは言いがたい口調で厳しく述べるジェイナ。
そんな状況でも無表情に淡々と言い続けるジェイナ。
そんな2人を丁寧に説得しようとするディート。
3人の言い争いは完全にクリスを無視した形で行われ……、
「ちょっとー! 私もまぜなさいよー!」
クリスの感情爆発で幕を閉じた。
「ジェイナ、貴女はしゃべり方はそのままでいいけれど、しっかりと礼儀作法は覚えてもらうわよ」
「……分かった。クリスがそう言うなら」
「ヨハン、貴女はそうやってすぐ他人を戒めるのはやめなさいね。ちょっとしつこいところがあるから」
「……私はそれでも不十分だと思いますけれど」
「ディート、貴女は行儀よすぎだからもっと崩れなさい。さすがにジェイナまでいかなくてもいいんだから」
「……お嬢様がそうおっしゃるなら」
いい、と言いつつクリスは3人を指差す。
その表情はさっきまで話していたような少女のものではなく、魔術師のそれだ。
「忘れないでね。私たちがこうしてられる犠牲があったって事を」
「忘れるはずがない」
「忘れようがありません」
「忘れられるはずがないですよ」
若干の間をおいて3人は同時に思いを述べた。
彼女たちは決して忘れない。失敗作として廃棄されていった『姉妹』たちもいる事を。
それにいたるまでに犠牲となった人たちの事を。
そして、このアインツベルンで失敗に絶望した人たちの事を。
通常の魔術師たちと少し違う思いを彼女たちは秘めていた。
そう、全ては至った後にもたらされるもののために。
「勝つわよ。絶対にね」
「ああ」「ええ」「はい」
そうしてアインツベルンの4人の少女たちは共に道を歩む事になる。
それぞれが思いを持ち、そしてそれぞれが別の使命を持ちながら。
それでも目指すは同じ尊い思い。
いざ、戦いの地へゆかん。
Fate/the midnight saga(仮)
この話は今後書く予定がない、いわばプロローグ部分です。
こんなに設定をつけていたのにいざ本編を書き始めると中々思うようにはいかず……原作みたいにルートが複数ないと全て使い切れそうにありません。
ちなみに他の人物のプロローグも考えてありますが、本編とは関係が薄いと思ったので書いておりません。
さて、いよいよ本編も山場にさしかかりつつあります。このまま意欲が保てる事を祈りつつ。
2007年2月22日
2007年10月18日 誤字修正