Fate/the midnight saga
第49話
/13日目・interlude
「……」
私の目の前で眠っていた男が次第に覚醒し始める。
しばらくぼんやりとしていたその男はふと視線を下げた。
どうやら誰かに手を握られていたと気付いたようで、すぐに握っていた相手に顔を向ける。
「レン……! よかった、気がついたんですね……」
「……ディート?」
彼女、ディートは彼に向けて柔らかな笑みを浮かべた。
しばらく彼、レンはあまりの展開についていけなくなったのか瞬きを数回する。
やがて周囲を見渡して再びディートを見つめる。
「なあ……ここってどこだ……?」
「アインツベルンの城です。ずっと眠っていたんですよ」
どうやらまだ意識が目覚めていないようね。こんな悠長な台詞を口走ってる場合じゃないのに。
と思って数秒。やっと意識が目覚めたのか急激に表情がこわばった。
「そうだ……! ディート、あの戦いは……っっ!?」
すぐさま起き上がろうとして再びベッドに倒れこむ。
何が起こったのかレン自身もわかっていないようで、目を見開いて驚いている。
「無茶をしないでください。今は安静にしていなければならないのですから……!」
「一体何が……?」
レンは力なく震える自分の手と腕を見つめて、呆然としていた。
無理も無い事だろう。なにしろ彼は……、
「なんでこんなに力が入らないんだ? それに……」
「そ、れは……」
「それは私から説明するわ」
言いよどんでしまったディートの代わりに私が説明する事にした。
私なら今の状況を客観的に説明できるだろうから。
「まずここはアインツベルンの城、昨晩の戦闘で破壊されなかった寝室。最高級の家具を取り揃えてあるから寝心地は抜群よ」
「お嬢様、そのような冗談をおっしゃっている暇はないのでは?」
「あなたは昨晩の戦いで前セイバーに勝利し、そのまま倒れてしまった。だからこうして寝かせてあげたの」
ヨハンの無表情の指摘をあっさり受け流して、私は説明を続けた。
いいじゃないの。物事には順序があるのだから。
「ああ、そこまでは分かってる。けれどなんで――」
「あんまりレディーをせかすものじゃないわよレン」
これは冗談でもなんでもなく、私が順序だてて説明する方が好ましいと思っているだけだ。
ヨハンも分かっているからこそ何も言ってこない。
「この辺はあまり語りたくないのだけれど……」
そして、私は昨晩の出来事をなるべく詳しく語る。
「……こんなものだろう」
昨晩、ランサーと戦ったセイバーは何度も倒れた。
ランサーの宝具、神殺しの神秘の前にセイバーはなすすべが無かった。
相性は最悪。それでもセイバーは鋭い闘志を絶やさなかった。
新アサシンの援護ももらいながら果敢にランサーに立ち向かっていた。
「たとえ幾多の英雄が加勢しようと、半神の英霊で僕に勝る者はたった一人しかいない」
それでも、ランサーは強かった。
一斉射撃ができなくても宝物庫から無限の宝具を取り出せる。無数の攻撃を解き放てる。
鎖を使われれば一瞬でもセイバーは身動きが取れなくなる。
対処はされても、英霊にはその一瞬で十分だった。
「やはりか……!」
ランサーの興味の対象は明らかにアーチャー、無限に剣を創造するもの。
アーチャーが青い剣士を召喚した時は歓喜に打ち震えてさえいた。
セイバー達など全く興味の対象でないかのように。
「いい友を持っていたのだな、君も。自分の全てに変えてでも守るべき尊さがそこにはある」
いや、実際になかったのだろう。
彼……いや、もはやランサーとソウマにとって聖杯戦争などどうでもいいはずだ。
彼らが求めるのは聖杯なんかじゃないのだから。
彼らが求めるのはそこに至るまでの過程。
決着と決別、己の価値を見出せる戦い。
その対象に私達アインツベルンは一切含まれていない。
「決着は、必ず」
二人にとってこの場でセイバーや私達がどうなろうと知った事ではない。
セイバーや私達が存命であっても全く気にならない。
だから、レンとアーチャーが戦闘不能だと分かればすぐさま退散してしまったのだ。
なんという屈辱……。
トオサカソウマ、絶対に許さない。
この大罪には必ず報いてもらうんだから……!
「だからセイバーもランサーも健在、キャスターと前セイバーが脱落しただけで終了よ」
「あの双魔が……」
ちなみに最後の部分だけは私の個人的感情につき割愛させてもらった。
こんなのを話したところでレンには一切関係のないことだし。
「けれど、もうあなた達の決着はすまされそうにないわね」
だから、こんな事だってあっさりと言い出せる。
「な、に?」
「自分の状況は自分が一番よく分かっているはずよ。貴方に何が起こったのか、ちゃんと答えてくれる筈よ」
レンは目を見開いて自分と私を交互に見渡す。
一見すればただの滑稽な仕草だけれど、私は逆にコイツに怒っていた。
「あんた、昨日一体何やったか分かってるの?
アーチャーにキャスターの神秘である英霊召喚を行わせて、それがかのアーサー王ほど偉大な存在で、あまつさえ聖剣の行使。
いくらアーチャーと二人がかりでも、あの宝具郡が霊脈から魔力を吸収する性質があっても、結局全部あんたの負担になるのよ。
最悪の場合、魔力切れどころか魔術回路が暴走して二度と魔術行使ができなくなっていたところなのよ」
「俺の事は問題じゃない。その結果メドラウトは救われた。
それがサーヴァントセイバーとして召喚されたメドラウトであっても、彼女が終焉をもたらす剣を持つ事は……二度とない」
あら、前セイバーの事となれば饒舌になるのね。さっきのうろたえようが嘘みたい。
だけどレンは次にはまた神妙な面持ちで私を見据えてきた。
「じゃあ……これはその結果なのか?」
「ええそうよ」
「――……」
レンは何も言う事が出来ず、唇を噛み締めてうつむいてしまった。
腕を肉がえぐれるんじゃないかと思うほど強く握り締めようとしているようだけれど、指に力が全く入っていなかった。
彼の、アーチャーの令呪がかつてあった腕を。
「聖鞘の開放はともかく聖剣の行使はとても大釜の供給では追いつかないほどだった。その負荷はアーチャーが全て追う事になる。
その結果がそれ。貴方は昨晩をもって聖杯戦争から脱落したのよ」
「……そう、か」
それでもレンは涙一つ流さず、意外にも冷静につぶやくだけだった。
その反応に一番反応を見せたのはヨハンだった。
「随分と淡白なのですね。もっと狼狽するかと思っていましたのに――」
「してるさ!」
レンの激昂は冷めた表情でつぶやいていたヨハンを驚愕させるのには十分だったようだ。
「確かにこれは俺が起こした結果で、俺はこの選択をした事を後悔してないしアーチャーも多分そうだ。
けれどこの選択肢は絶対に最善じゃなかった。結局俺は柳洞英を犠牲にしてでしかメドラウトを導けなかったんだ。
葵、英ねえ、そしてアーチャー……。結局俺は犠牲の上で進むしか出来なかったんだから……!」
レンは本当に悔しそうに噛み締め、涙を静かに流す。
レンも魔術師ならば最善の選択肢をとる、なんて絵空事と分かっているはずだ。
けれどレンはそれを人間として真っ向から否定する。そして妥協する事無くそれに向けて突き進む。
だからレンは傷つくしかない。大いなる矛盾の前に。
「「?」」
けれど今回ばかりは私とヨハンは思わず顔を見合わせてしまった。
そして二人して会話を始めようとした瞬間、疑問の正体が明らかになった。
「あのねレン、言っておくけれど……」
なんの事はない。私たちとレンが食い違っていただけだった。
「アーチャーは無事よ」
「……へ?」
多分、レンの時間が止まった。
それを面白おかしく眺める事も出来たけれど、その時間がもったいないのは実に惜しいと思う。
「全サーヴァント中随一の単独行動力を誇るアーチャーのクラスを何だと思ってるの。
あの戦いで魔力が空に近かったのはどっちもだけれど、とりわけレンは魔力消費の負担を請け負おうとしていたせいで酷かった。
このままだといくらアーチャーでも朝までには消滅していた」
「ですから貴方には無断ですが令呪を摘出させていただきました。
いかにマキリの技術の粋を結集させた令呪であろうと、我々アインツベルンの魔術師が三人がかりで霊媒治療術を行えば、
魔力が枯渇寸前で無防備な魔術師から摘出するなど造作もない事。すなわち――」
ヨハンは侍女服の袖をめくり上げて、白くて細い腕をあらわにした。
「このように」
そこには一画だけ描かれた紋様がある。私のやディートのとも、レンのとも違うものだ。
令呪はどうやら個人の性質によって紋様が違うらしいから、ヨハンのものが本当はどのようなものか興味がある。
「悔しいけれどアーチャーがいないとランサーは倒せない。それだけは確固たる事実。
レンには悪いけれど、アーチャーを最後まで利用させてもらうわ」
「いや……そんな事無い」
突き放すように言ったつもりだったが、レンは目を見開いたままつぶやいた。
思わず呆気にとられる私。
「ありがとう、アーチャーを助けてくれて。そしてすまなかった、迷惑をかけて」
「と……当然よ。アインツベルンの貸しは重いんだから、せいぜい覚悟してなさい」
私は視線をそらしながら髪をかきあげる。
駄目だ。焦りを隠しきれてない。私こんなに弱かったっけ?
ちなみに、これはヨハン達にも話していない事。
私は純粋にアーチャーを気に入っていた。華々しい英雄とは何もかも対照的な英霊を。
それにレンの事も悪く思っていない。利己的な魔術師とは何もかも対照的な魔術師を。
だから私の一存で二人を助けた。
きっと彼らがアインツベルンの城で私たちを助けてくれなくてもそうした。
なんという弱さだろうか。アインツベルンの魔術師ともあろう私が他の者を助けるなんて。
けれど、それを悪く思っていない私がいるのは紛れも無い事実だった。
「ま、アフターサービスとして貴方の魔力が一定まで戻ったら返してあげてもいいわよ。
どっちにしたって私たちは問題ないし」
「? ランサー戦に備えるならアーチャーが手元にあった方がいいんじゃないか?」
どうやらいぶかしげに眉をひそめるレンにいつもの聡明さはないようだ。
「あのね、レン自身は聖杯を求めてるの?」
「聖杯? ……いや、俺は――あっ」
やっと気付いたようで、彼は思わず口を大きく開けた。
「レン自身やアーチャー自身は欲しておらず、奇跡の対象はディート。
アインツベルンは欲しているけれど、奇跡をディートにも振り分けようとしている。
ほら、結局アーチャーがどっちのサーヴァントであっても変わらないでしょう?」
「……そうだったな。どっちが勝とうがディートは救われてアインツベルンは聖杯を手に入れる」
そう、それこそレンを助けるのをためらわなかった最大の理由。
レンは聖杯を欲しないのだから彼らが勝利すれば、今までの状況をふまえて遠坂に渡さず私たちに渡すはずだ。
残ったのは『どちらの英霊が聖杯戦争の勝利者か』というもはや尊厳の問題でしかない。
だから正直アーチャーはレンのサーヴァントのままでもいい。
しかし……、
「けれどレン、あなたの魔術回路は酷使され続けるおかげで完全に参ってるわ。
このままこの使い方をしていれば過負荷によって暴走してしまうわよ。魔術師でいたいのなら注意なさい」
「わ、分かった……」
私の剣幕に気おされたのか、レンは若干後ろに下がりながら冷や汗混じりにうなづく。
反論しなかったのは危険を承知だからだろう。
けれど、彼は絶対に今度もしでかす。
レンはそういう人間だ。
「さ、て」
「?」
通り過ぎた事実はこれまで。
「残ったサーヴァントは事実上三騎士のみとなった。つまり、戦いは終盤に移る事となる」
ここからは、これからの舞台だ。
「ソウマの勝利条件は私たちの全滅。あの様子だと決着がついた暁に聖杯を破壊したっておかしくないでしょうね。
私たちの勝利条件は時が来るまでにランサーを倒す事。それだけで決着するから良い意味でも悪い意味でも時間の問題ね」
「ちょっと待った。一つ確認しておきたいんだが」
「……何よ」
話を途中で折られて若干不機嫌になる自分が簡単に分かってしまった。
それに構わずレンは真剣な目つきで続ける。
「聖杯戦争での勝利条件は、一人生き残る事なのか? それとも六人が脱落する事なのか?」
おかしい。その辺りの事実ならば遠坂であるレンなら分かっているはずだが。
何を今更……と思ったところで、遠坂の複雑な事情を思い出す。
レンはソウマやメノウと違って遠坂であって部外者だったんだ。
「後者よ。これだけ言えば察しがつくんじゃないかしら」
「……そう、だったのか」
衝撃を隠しきれない様子のレン。けれど当然の反応だろう。
聖杯と銘うっていてもその本質は万能の大釜。実はケルトのそれの方が近いのだ。
アインツベルンが失われた軌跡を追い求めて数百年、その一端である器は完成しても中身は満たされない。
ニムエはそれを国単位の純粋な魔力で満たそうとしたけれど、先人が選んだのは英霊の魂で満たす手段だった。
召喚した英霊が座へと戻っていく際に広がる「」に通じる穴。これが奇跡の正体なのだ。
その数は絶対数の七。つまり呼び出すサーヴァントの数だ。
もちろん奇跡の名は餌だけじゃない。「」に至るからこそマスターは何でも出来る。
英霊にとっても別段嘘でもない。穴を広げる英霊が外への干渉が出来ない六でも、内に向けられた軌跡なら必ず叶うから。
だからマスターはどんなに相性の良いサーヴァントであっても令呪を残しておかなければならない。
なぜなら、最後にサーヴァントが願いを叶えないようにするために。
これを知るのは始まりの三家だけであり、他のマスターと全サーヴァントには知られてはならない秘密だ。
……が、表向きのルールが定められたばかりだけれど、今回ばかりは少々勝手が違う。
その理由は……、
「前セイバーを含めて五人が脱落。もしディートを救うためだけだったらロアが魂に組み込んだ方程式を除去するだけだから六人で事足りるわ。
そして当然七人になれば「」に至れ、第三魔法の行使ができる。――それこそサタナがやったみたいにね」
サタナという名詞を言葉にした瞬間、レンは若干顔をこわばらせた。
きっとあの女の事でも考えていたのだろう。私には全く関係のない話だ。
「けれどソウマたちの様子から見れば、間違いなく万全な状態でのレンたちとの決着を望んでいる。
悔しいのは現状ではこちらから打って出ても奴らを倒せない事。どのみち私たちはあっちの出方を待つしかないのよ」
アーチャーはヨハンがマスターになったおかげである程度まで回復している。この調子だと今晩には万全だろう。
問題はレンの方だ。
崩壊しかけていた魔術回路を錬金術で補ったおかげで今非常に脆弱な状態だ。
おそらく魔術行使数回にも耐えられやしないだろう。
「……つまり俺が回復しないと始まらないのか?」
「そうよ。アーチャーの話では遠坂邸に行けば何とかなるらしいから、セイバーに連れて行ってもらうわ。
もちろん異議は認めないわよ」
私が不敵な笑みを浮かべてやると、レンは力強くうなづき返した。
私が冬木に行く時はいつもセイバーの背中の上だった。セイバーの足はとても速くて馬車なんかめじゃなかった。
けれど私はグラニに乗ったセイバーの方が好き。
その雄々しさはバーサーカーの戦車やライダーの麒麟ごとき敵ではない。
「さ、て。ヨハン、ディート。レンを食堂に案内してやりなさい」
「かしこまりました」「了承」
私につき従う二人の侍女は恭しく一礼する。
二人が弱々しいレンを連れて部屋をあとにする。
セイバーは召喚陣の上で療養中、新アサシンはどこかに消えたしアーチャーは外の警戒だ。
だから残ったのは私とヨハンだけ。
時計の秒針が五秒も動かないうちに、私は口を開いた。
「ヨハン、分かっているわね」
「はい。最低限のもののみ持ち出し、残りは本国の方にひきとってもらうよう手はずは整えました。いつでもこの城を撤収できます。
残るは聖杯を持ち出すのみです。遠坂側は要請を受諾したので、儀式は遠坂邸にて滞りなく行えます」
「結構」
表情一つ変えずにヨハンが行った報告で、私の想定どおりに進んでいると確信する。
前セイバーの宝具などで文字通り半壊状態の城はもはや要塞としての役割を果たさない。
領地としても度重なる敵サーヴァントの襲来で弱くなってしまっている。
ならば、意地を張って留まる事はもはや愚策でしかない。
そして聖杯の儀。本来なら柳洞寺で執り行いたかった。
現時点ではどの霊脈も確保されていないのだから今からでもそうできる。
けれど、あらゆる可能性を考えると現時点では遠坂邸の方が都合がいい。
そう……あらゆる可能性を、ね。
余談だけれど今回は始めから全霊脈が敵に押さえられていたっけ。
対岸の丘にキャスター、町の中央にランサー、柳洞寺に前セイバー、遠坂邸にライダーといったように。
アインツベルンの城も霊脈上だけれど、冬木のものではないから聖杯の儀は執り行えない。
どの道そうでなくとも私たちは攻勢に打って出るつもりだったから問題なかったけれど。
「ならばすぐにアーチャーに同行させ、遠坂邸へ出発なさい」
だが今は、事を迅速に運ばなければならない。
本当だったら気絶していたレンを引きずってでもそうしていなければならない、と考えていたほどだ。
一方ヨハンはアーチャーという単語を耳にした途端、いぶかしげに眉をひそめる。
「アーチャーを? しかしお嬢様はアーチャーを彼の者に返却すると――」
「魔力が一定まで戻ったら、とも言ったわ」
ヨハンは普段あまり見られないような驚きようを見せてくれた。
レンから令呪を引き剥がす際のやりとりを考えれば当然かもしれない。
「……まさかあのクリスがそんな真っ黒な陰謀を張り巡らせていただなんて。仲間達はどのように考える事やら」
「貴女に学んだのよ。まだまだ先生には遠く及ばないけれど、素敵でしょう?」
「ふっふっふ」
「あっはっは」
多分ディートがこの場にいたら「……火花が飛び散っていますね」なんて見事な感想を述べてくれたに違いない。
けれど、私とヨハンの間にはこのようなやりとりだけで十分だった。
強いてヨハンの察しが悪いと想定するなら、こんな会話がされていたに違いない。
「冗談は置いといて、もうレンはアーチャーを支えるだけの余力がない。回復するとしたら最低数週間はかかる。
――もうレンはマスターとしては終わったのよ」
「ではお嬢様には始めからレンにサーヴァントを返却する意思はなかったと――」
「いえ、正直に言えばあったわ。けれどそれでは必ずやレンはソウマに倒されてしまうでしょうね。
サーヴァントは維持するだけでものすごく負担になるし、そんなレンをマスターにしたアーチャーまで引きずられるでしょうし」
……こんないちいち説明してやらなければならないほどヨハンは頭が悪くない。
我ながらものすごく違和感を感じてしまう。
けれど……こればかりは相談したくなってしまった。
「さて……ヨハン、正直に答えてくれない?」
「私は常日頃正直に物を申しているつもりです。ご心配なく」
「そう……それでこそヨハンよね」
私は若干言いよどんだので一呼吸置いた。
それだけで少し落ち着いた。
「正直、ディートはあと何日持ちこたえられそう?」
「本人は必死に隠そうとしておりますが、おそらくあの様子ではもって一週間でしょう。
ですが……おそらく真祖の介入があった場合、すぐにでも覚醒してもなんらおかしくはないかと」
彼女は顔色一つ変えずに客観的な事実だけを述べてくれた。
そして彼女の言葉は私の見立てと同じだった。
昨晩の戦い、確かに事態は大きく進展した。
けれど、キャスターが脱落した事でディートのロアへの覚醒を止められるものは誰一人いなくなった。
だからこそアーチャーをディートではなくヨハンのサーヴァントとした。
今回の配分だってそう。
セイバーにレンを送らせるのは今後を見通しもあるけれど、一番の要因はレンを好ましく思っているから。
けれど、ヨハンとアーチャーを聖杯所持で先行させたのは、最悪の事態に備えての事だ。
ロアが覚醒した場合、私はセイバーを令呪で呼び出して応戦するつもりだった。
万一の事があってもヨハンがアーチャーを従えていれば、必ずや悲願に到達できるはずだから……。
「なぜそのようにしたか、貴女はご存知よね」
「無論です」
「結構よ。行きなさい」
ヨハンは慇懃にスカートのすそをつまみ、頭を下げて退出していった。
「……ふう」
私は思わず椅子に座り込んだ。足を放り投げ、思いっきり体重をかける。
ヨハンが見ていたら口うるさく指摘していただろう。
これで最善の策は尽くしたはずだ。
あとは事態が良い方向に転がってくれる事を願おう。
これだけがんばったならちょっとは運命が味方してくれるよね?
/
「と、言うわけでお一人様乗馬体験へごあんなーい」
「ちょっとまてえええぇぇぇぇぇ…………!」
必死の抵抗むなしく、現時点で貧弱なる坊やはあえなく大男に連れて行かれましたとさ、まる。
食事が済んだので考案通りレンにはセイバーのグラニで先に出発してもらった。
なんだか文句を言っていた気もするけれど私は気にしていない。
たぶん錯覚の一種だろう。そうに違いない。
既にヨハンとアーチャーも先行しているから、ここアインツベルンの城に残ったのは三人だけになる。
私、ジェイナ、そしてディートだ。
私はセイバーたちを見送ると、きびすを返して城へと戻る。
ヨハンにもディートにも考えを知らせていないため、ディートはいぶかしげに眉をひそめる。
「お嬢様、我々はいつ出発するのですか?」
「セイバーが遠坂邸の間を往復してきたらすぐよ。さすがに私たち三人だけで移動するのは危険だろうしね」
あっけらかんと言い放った私はディートの顔色をうかがいもせずに城の扉を開けた。
正直に言えばグラニを駆るセイバーなら私たちが徒歩で進む距離など瞬く間のはずだ。
ならば場所は固定した方がいいだろう。
それに、万が一の場合があった場合、私たち三人なら崩壊寸前でも城にいた方がいい。
前セイバーによって消滅させられたため、ロビーは半分が消え去っていた。
だから本当なら扉を開けずとも入れるんだけれど、そこは気分だ。
……これ、万一私たちが聖杯戦争に失敗した場合はどうやって修築するのかしら。
もはや荷物をまとめ終えたので、私たちにはやる事が何一つない。
ただセイバーが戻ってくるのを待つばかり。
私はソファーでくつろぎ、ディートは起立して待機、ジェイナは武器を手に窓から外をうかがっていた。
「……二人とも、そう凝り固まらずにもっと楽になさい」
「お言葉ですがお嬢様、従者が主と同様にくつろぐのはいかがなものかと思われます」
「万一の事があったら危険。ジェイナはこうしている」
「あ、そう」
少し話しかければこれだ。会話が成立しない。
残す人選を失敗したかなーと思いながらも私は窓の外を眺めた。
レンが目覚めた時間が昼間をとっくに過ぎて夕方近くだった。
準備を手際よく済ませても結局セイバー達とヨハン達の出立は夕方。
だからもう日が暮れ始めている。
「私たちの世界が始まる、か」
夜の始まり。そして魔術師の宴の開幕。
今までは一人きりでも大丈夫だった。
ヨハン、ディート、ジェイナ、他の仲間達がいてくれた時はなお心強かった。
どんな苦難が待ち受けていようと乗り越えられる確信があった。
けれど、今はとても不安だ。
たった数日しか経っていないのに、本来いるべき存在ではない者がいないだけなのに。
寒気がするほどに恐怖と焦燥を肌に感じる。
「セイバー……」
やっぱりどんな事があっても貴方がいてくれないと心細いよ……。
日が森の中に沈もうとしていた。
私は本をとって読み始めた。
日が沈んだ。
私の手の中にある本は一ページもめくれていない。
星が天を覆った。
ディートが入れてくれた紅茶は誰も触れる事無く冷め切っていた。
月が夜空を支配した。
まだセイバーが去ってから二時間も経過していない。
なのにいてもたってもいられないじれったさに悩まされていた。
「遅いわねセイバー」
「そうですね」
もちろん30キロメートルほど離れている冬木をこの時間で往復するのは困難だろう。
ペガサスのような天馬ならともかく、グラニは地を馳せるのだから。
「令呪で呼び出さないでくださいよ。残り二画とはいえ、先を考えれば多いに越した事はありません」
「嫌ね。今の私って令呪を行使しそうなほど退屈な顔してる?」
「不安は隠しきれていないかと」
ディートは面白おかしかったのか、くすくすと笑った。
若干癪に障ったが些細な事だと捨て置く。
「そういうディートは不安を微塵も感じないんだけれど、侍女過ぎてつまらないわ」
「いえ。取り繕っているわけではなく、本当に不安を感じないのです」
「この状況で?」
ディートは静かにうなづき、窓に近づいて天を仰いだ。
「なぜなら……こんなにも月が綺麗なのですから」
「……!」
それは直感としかいいようがなかった。
ヨハンから返してもらったアインツベルンの領域内の全知覚を通しても何ら反応がない。
物理面でも魔術面でも、平穏なのは疑いようもない。
「……二人とも、今すぐここを出立するわよ」
だけれど私はすぐさま決断を下した。
ヨハンはうなづく代わりに窓を斧で叩き割った。
そしてすぐさま私とディートを抱えると、窓から飛び降りた。
「ヨハン、着地は任せるわ……!」
重力軽減の魔術を発動せず、轟音を立ててヨハンは着地する。
それでもひるむ事無くすぐさま彼女は駆け出した。
めまぐるしい速度で木々が通過していく。速度だけを重視しているせいで乗り心地は最悪だ。
「「「!?」」」
直後、世界が圧倒された。
木々が、大地が、風が、空が。辺り全てが平伏するかのように静まり返る。
まるで、絶対の支配者が降臨したかのように。
「……ぁ」
息苦しい。気をしっかり持っていないと圧迫される。
ふと視線をそらすとヨハンは歯をしっかりと噛み締めて目を鋭くしていた。
「……あ……ぁぁ」
ディートは頭を抱えて脅えていた。
全てを拒絶するみたいに。何も感じないように。必死に逃げるように。
「そんな……」
私は思考を張り巡らせても空回りするばかりだった。
「早い……早すぎる……」
なぜ天はささやかな願いを踏みにじる。
なぜ星はわずかな輝きすら消そうとする。
「あと少しなのに……!」
なぜ……、
なぜ、月は全てを見下ろしている?
ヨハンは急停止し、私たちを守るように背中の斧を構える。
私もはただ目の前の光景を眺めるだけしかできなかった。
ディートは自分を抱きしめて現実から完全に逃避していた。
白い月の下、白き姫がそこにいた。
黄金の髪は獅子より輝いていた。
美貌はどの彫刻よりも美しく整っていた。
瞳はまるで鮮血で染めたような真紅だった。
これが、真祖の姫君――。
絶対者を前にして何も出来なかった。
息をすることさえ忘れ、視線をそらす事さえ許されなかった。
ただ在るだけでこれほどだなんて……!
彼女の真紅の眼はたった一つの対象しか見ていないようだった。
私たちの後ろにいるディート……いや、ロアを。
視界に入っていても私やジェイナは障害物ですらない。
彼女の繊細な指が艶めかしく、ゆっくりと動いていき……、
「セイバー! 今すぐ馳せ参じて私たちを逃がしなさい!」
叫んだ。彼女の存在に負けないぐらい必死になって叫んだ。
鈍い痛みと共に私の令呪が一つ消え去った。
決死の思いは彼への束縛をまた一つ失った代わりに一つの奇跡を成就させる――!
魔力の渦が目の前で巻き起こり、一人の頼もしき英霊が姿を現す。
空間転移。英霊に英霊以上の奇跡を行使させる事までできるとは、マキリの令呪とはこれほどのものなのか。
改めて令呪のすごさを思い知る。
そんな事まで考えられる余裕が生まれるほど、この場に彼がいてくれるだけで頼もしかった。
一瞬の出来事。
その一瞬前まで私たちがいた場所が大きくえぐれていた。
セイバーは片手で竜破壊の剣グラムと手綱を、もう片手で私たち三人の腕を、両足で身体を固定してグラニを走らせていた。
(すまない! もう少し速く来ていれば令呪を使わせなかったものを……!)
(いえ、もしそうであってもアイツはきっとは疾走中のセイバーごと私たちを攻撃していたはずだから、不意をついた今の形こそが最善よ!)
苦虫を噛み潰したような表情を見せるセイバーに念話で伝えた。
もはや声の会話が成立できる速度じゃない。
セイバーの片手だけで固定されている私たちが真横になるほどの速度でグラニは疾走する。
いかなる生き物、いかなる乗り物よりも速く駈けるグラニは雄々しく筋肉を動かす。
それでも圧迫感は全く拭えなかった。
「……なんだ、アイツは――」
後ろを振り向いたセイバーは驚愕の声を漏らす。
私も領域を全てを知覚できる自分を恨むなんて思ってもいなかった。
(あの存在はなんなんだ!)
(貴方だって分かっているでしょうセイバー。アレこそが全ての頂点に君臨する存在だと)
それをかろうじてごまかしながら私は後ろを振り返った。
(白き真祖の姫君、アルクェイド・ブリュンスタッド――)
白き姫は歩いていた。
それなのにグラニとの距離は全く遠くならないのだ。
髪や服のたなびき具合や涼しげな表情は本当に歩いているようにしか見えない。
だからこそ、怖い。
歩幅だとか速度だとかそんなチャチなものでは決してない。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わっている――!
これでは令呪の効果が切れてしまえば追いつかれてしまう。
そうなったら最後、私たちに残された選択肢は全力で抵抗するだけになる。
真祖の姫を相手にして私たちが勝てる確率は絶望的だろう。
「……」
私はふとヨハンとディートを見た。
ヨハンは私の視線に気付いたのか、力強くうなづいてくれた。
ディートもまた気付いたようだが、悲痛な面持ちで首を横に振る。
次にセイバーの方へと視線を移す。
彼は黙ってうなづいてくれた。
焦りの片鱗すら見えない、どこまでも頼もしい返事だった。
ふふ、視線だけで意思疎通が出来るなんて。
私はやはり素晴らしい侍女……仲間とサーヴァントを持っていたのね。
なんて贅沢。
「……私は誇り高きアインツベルンの魔術師、クリスティーナ・フォン・アインツベルン」
聖杯とアインツベルンの魔術師は別の場所にある。
ならば、私に残るものはこの思いだけだ。
「いかなるものが立ちはだかろうと、この誇りを穢す事は許されない」
その思いにかけて、決して未来の見えない選択肢だったとしても、
「故に、私はただ一人になろうとも戦う」
最後まで全力を尽くすまで!
セイバーは不敵に笑った。
ヨハンは斧を力強く握る。
ディートは何か叫んでいるようだけれど全然聞こえなーい。
ならば、決断を下そう。
「セイバー、逃走はもういいわ。戦いましょ――」
とまで言いかけたところで、目の前の空間に微細な魔力の結晶が舞っているのに気付いた。
それは急速に広がっていき、ドーム状に辺り一帯を取り囲んでいく。
そして瞬く間に結晶は増殖していく。
「これは……!?」
私たち四人はその隙間をかろうじて通過していく。
それに呼応するかのようにその隙間も魔力の結晶で満たされ、ふさがれてしまった。
それで微細な魔力の結晶の集合でできたドームが完成する。
と、同時だった。
それはドーム内側の空間を全て飲み込むかのように消失する。
中にいた真祖ごと――。
「真祖が、消えた?」「固有結界……!」
セイバーと私が見せた反応は戦士と魔術師の違いの結果だろう。
限定的な空間遮断、こんな神秘を行使するすべは固有結界ほどの大魔術のはず。
それが真祖だけを飲み込んだ。これが意味するのはたった一つ。
固有決壊の対象が真祖だけだった。
「シェラザード……!」
そしてこんな事を行使でき、動機がある者などこの地でもはやたった一人しかいない。
死徒二十七祖の一人しか。
「……予定変更。シェラザードの奴が時間を稼いでくれている間に逃げるわよ」
ならばこの状況を最大限に利用してやる。
「了解した」
セイバーもまた一切の躊躇なく馬を駆り、瞬く間に先程いた空間がパンくずより小さくなった。
聞こえるのは絶対者の支配から解き放たれた風の音だけ。
見えるのはもうすぐで真円を描く白き月。
感じるのは熱い心。
……どうやら冬木の空は少しだけ私に味方してくれているようだ。
ならば、私はそれを全力で生かしきってみせる。
どんな事があろうとも、必ずや。
全ては、アインツベルンが始めに抱いていた悲願のために――。
interlude out
to the next stage……
最終章開幕。これについては言う事はありません。
思えばこれを書き上げている間に自分には様々な事があり、劇的な変化を遂げました。
そんな長い期間をかけていてもこうしてかつて思っていた物語をこうして書き記せる事を嬉しく思います。
もう少しばかりお付き合いいただけると幸いです。
さて、ようやく真祖の姫君登場。
次の話で行う予定のシェラザード対アルクェイド戦は第二次聖杯戦争と全く関係ないので正直割愛したかったりしますが、ちゃんとやります。
あの明るいアルクは志貴あってこそなので月姫の彼女とは全く違った書き方になってしまいますが、ご了承ください。
ちなみにこの物語の主人公はディートと憐だと考えています。
なのでこの二人の一人称以外の場合は全部interlude扱い。
今回どっちの視点でも書きづらかったのでクリスの視点にしました。
旧25話や新6話で行いましたが、思った以上に書きやすい。
おそらく旧14話、旧15話のクリスのシーンも書き換えるなら一人称でしょう。
これもまたイフですが、セイバルートは憐とクリスの一人称で行われる……つもりです。
それでは次の舞台で。
2008年4月9日