幻橙英雄
第13話・騎士王B
/4日目
「私の名はアルトリア。此度の聖杯戦争でセイバーとして召喚された、ブリタニアを束ねる騎士たちの王だ」
セイバーは燦然と言い放った。
王だと名乗る魔術王ソロモンを相手にしても決してひけをとらない誇りを持って。
その在り方は決して他の王からも否定されるものではなかった。
「アルトリア・ペンドラゴン……」
アーサー王、数多くある騎士道物語の中でも知名度から言えばアルスターやニーベルンゲン、ローランより上と言えるだろう。
最高の英雄を最強のクラスに。
間違いなくこのセイバーは聖杯を得るべくこの地に立っている者だった。
「まさかかの名高き騎士王と同じ時を過ごす事になるとは……」
思わずランサーは我を忘れてセイバーの剣に見入る。
シャルルマーニュはフランス、ドイツ、イタリアを統一した人物だ。
当然その領土にはブルターニュ、すなわち小ブリタニアもある。
そのブルターニュで300年ほど経ってもなお語りつがれる、アーサー王の伝説。
それはランサーもまた知っており、どんなものだったのかを空想した。
だが300年も経てば事実の中に美談が加えられる事もまた知っていた。
そうは言った所で当時の文献には『この人物がどう考え、そのためにどう行動したのか』など書いてあるはずもない。
本当の姿を知るには本物を見るしかないのだ。
「異国の者まで魅了する英雄、か」
もしこれが尋常なる勝負であったなら、騎士王とまで呼ばれる人物と手合わせできる事がどれだけ幸福だろうか。
騎士王と互いの剣を、互いの思いを、互いの在り方を確かめ合う決闘に勝る事などあるだろうか?
己の位置と相手の高みを知る事に勝る事など騎士としてありはしないだろう。
が、あいにくこれは戦争だった。
尋常なる勝負などという絵空事が通用するようなものではないだろうし、互いがそれを望んでいてもそれに関係ない者にまでその考えを押し付けられない。
万一それがあったとしたら、互いが生き残っている状態の時だけだろう。
つまり、最低でもその機会は今ではなかった。
セイバーは自己紹介の直後には剣の間合いにキャスターを入れ、そのまま剣を振り下ろしていた。
その間数秒にも満たない。わずかに注意をそらしていたらランサーとて感知できないほどだろう。
それを悪魔の軍が全滅させられ呆然としている魔術師のサーヴァント、ソロモンが反応できるはずがなかった。
だがその直後に響いたのは肉を裂く音でも、鮮血が飛び散る音でもなかった。
確かすぎる手ごたえと共に金属音が響き渡ったのだ。
「くっ!」
キャスターは金属音でようやく我に返り、間合いを離そうとする。
と同時にセイバーは間合いを詰めようと飛び出すが、やはり金属音と共に妨害にあった。
その妨害を排除しない事にはキャスターは倒せないと悟ったセイバーは剣の対象をその障害へと移す。
2,3,4……。剣による攻撃が繰り返されるたびにその障害は体勢を大きく崩していった。
そして障害にとっては致命的な、セイバーにとっては絶好の形に体勢がなる。
それを見逃さないセイバーは容赦なく攻撃を繰り出す。
直前、森の奥から何かが失踪してくる。
ソレはセイバーの鼻の頭をかすめると、着地の音もさせないほど柔らかく地に足をつける。
セイバーの前髪こそ揺れたものの、ソレが不意打ちで行った爪での攻撃はセイバーにはかすり傷1つつけていなかった。
ソレは不意打ちに失敗したからか、深追いはせずにキャスターの元へと近づき、セイバーの前に立ちはだかった。
今キャスターの目の前に立つ者は3人。
1人は当然敵であるセイバー、もう2人はキャスターの方に背を向けてセイバーと対峙していた。
1人は不意打ちを放った、ライオンに似た頭部を持ち熊に乗る者。1人は帯にさしていたキセルでセイバーの剣をかろうじて凌いだ者。
前者は間違いなくソロモンが召喚した72柱の悪魔の一匹。おそらく大量召喚したさいに別行動を取らせていた者だろう。
だが後者の方にはランサーは納得いかなかった。
なぜなら、後者はキャスターのマスターであるアナスタシアその者だったからだ。
ランサーとて現在聖堂教会には異端を狩る者達がいる事は知っていた。
代行者と呼ばれる者たちらしいし、中には英雄とも渡り合えるほどの化け物も存在する時もある事も知っていた。
が、ホテルで見た時のアナスタシアからは全くそんな気配は感じなかった。
英霊から見ても隠せるほどの達人だったのか、それともあの時とは別人なのか?
「――やはりそのマスターは替え玉か。72柱第56位のゴモリーと見るが?」
「――っ! 莫迦な……。まさか替え玉の事まで悟っていたのか……!?」
セイバーもあえて深追いはせずにただ構えをとっていた。
キャスターはセイバーの言葉にただうろたえるばかりだった。
「ゴモリー、そうか……!」
ここにきてようやくランサーもあのアナスタシアが替え玉だった事に気づく。
だが気配、物腰、口調。全てがホテルで見たアナスタシアそのものだっただけに、ランサーにはそう言われるまでは本当に分からなかったぐらいだ。
それを一発で看破していたとは、と驚きを隠せないランサー。
実際はセイバーもマスターである切嗣に教えられていなければアナスタシアをただの人間だと思っていただろう。
物腰や気配から実力を持った者とか達人であるかとかを悟れる者であればあるほど騙される。
それほどまでに『アナスタシア』の擬態は完璧だった。
「バカなバカなバカなバカな。いかに聖剣とは言え、いかに召喚そのものがもはや完全でないとはいえ、なぜ王である余がこのような状況にある!?」
キャスターは目の前にある状況を認めようとせず、愚痴を次から次へと吐いていく。
その光景はランサーが見てもセイバーが見ても呆れるものだった。
だがいつまでもこのような戯言を聞いていられるほど悠長でもない。セイバーはそのまま重心を移動させ、飛び掛ろうとする。
「おのれぇっ!」
そんなセイバーを前に、次にキャスターが取ったのは前後から見ていた2人の英霊にとっても意外なものだった。
キャスターは手に持っていた『小鍵』を顔に強く叩きつけたのだ。
それも一度ではなく、何度も何度も。
あまりに奇怪な行動に一瞬唖然としていたセイバーだったが、次には正気を取り戻す。
キャスターが狂っていようが自滅しようとしていようが関係ない。ただ自分は剣をもって敵を倒すだけだ。
改めてセイバーは飛びこもうとする。
「……!」
不意に感じる不気味な気配にセイバーは躊躇した。
セイバーの持つ第六感とも言うべき悟り、これがセイバーに警戒を促がしたのだ。
キャスターは飛びこもうとしたちょうどその時、動作をやめていた。
そうして『小鍵』を静かに下ろす。
キャスターの顔は『小鍵』を何度も打ち付けたために、鼻血で染まっていた。
「……やれやれ。こうして自分の思い通りに行かぬと冷静さを失ってしまうのは生前ではついに治せなんだ。
結局は己の失策が原因であってもつい他人に当たってしまってな。こういう時は自分に当たるようにしている」
キャスターはそう言いながら袖で血を拭う。
もはやその態度に見くびりも憤慨も、傲慢すらもなかった。
キャスターの態度は冷静を絵に描いたようでありながら、だが王としての風格は損なうどころか更に増していた。
追いつめられているのは確実にキャスターであったが、いかにもセイバーの方が追いつめられているのではないかと思えるほどのものだった。
微笑を浮かべつつキャスターは言葉を発する。
「黄金の宝剣か。その輝き、見せてもらったぞ。最強の幻想、ラストファンタズムとはよく言ったものだ」
「そのように言う貴方の方こそまさかキリスト教世界において知らぬものはいない『悪魔』をこれほどまでに使いこなせるとは思いませんでした。
聖剣がなくば戦争であるこの期に負けていたのは私の方だったでしょう」
セイバーの言葉に肩をすくめるキャスター。
何しろ現実にはセイバーは聖剣を持っていて、それで70体もの悪魔が瞬殺されたのだから。
この聖杯戦争ではキャスターは最弱だと言われている。
なぜならアサシンとバーサーカー以外のクラスで召喚された英霊は全て対魔力があり、魔術が無効化されてしまうからだ。
今回のキャスターはそれを召喚で補おうとしたのだが、今やその召喚した者まで倒されてしまった。
ソロモンの召喚が普通の召喚と違うのは『全く同じ個体を再び召喚する』事にあった。
無数にいる雑兵とは訳が違う。72体それぞれに固有名詞や在り方が存在するのだ。
ゆえに一度やられればそれを召喚する前に回復する時と魔力が別に必要になってくる。
神殿があるのでもう一回ぐらいは召喚する余裕はあるが、全員を回復させるとなれば話は別だった。
よって、もはやキャスターには召喚が出来なかった。
「召喚が出来ない以上もはやキャスターである貴方にセイバーである私を倒す事はできない。これで終わりです」
「……甘いぞ騎士王、いや、セイバー。余の魔術書は『小鍵』だけではないわ」
それでもキャスターにもはや焦りなどはない。対等やそれ以上の者が見せる自信にあふれているのだ。
直後、キャスターの手元から『小鍵』が消失した。
それでもなお『小鍵』によって召喚された悪魔は残っている事から契約はキャスター自身と繋がっていると判断。
先程と同様に目の前にいる悪魔も切り倒せば召喚はできないはずだ。
判断は一瞬。セイバーは迷いなく飛び込む。
代わりにキャスターの手元に出現したのは『小鍵』とはほとんど装飾に変わりはない、だがその在り方は全く異なる魔術書であった。
『小鍵』が全てを圧倒するほどの魔力の塊とするなら、その魔術書は元からある魔力を包み込まんとするものだった。
そしてキャスターの魔術書に魔力が集まってゆく。
(小鍵とは別の“宝具”!)
そう判断したセイバーだったが、2人の悪魔によって妨害されてキャスターまで辿り着けない。
いずれ倒す事は可能だが一刀で切り伏せる事はできない。
「
そして、その本の真名が唱えられた。
「大鍵……!」
ソロモンの魔術書『小鍵』の中でも有名かつ重要なのは始めに書かれているゲーティアの章。72柱の悪魔の紹介、召喚方法などが書かれたものだ。
他にも天空の精霊について書かれた『テウルギア・ゲーディア』、黄道12宮ゾディアックを支配する天使について書かれた『パウロの術』、
4つの高みを支配する天使について書かれた『アルマデル』、祈りの書である『アルス・ノヴァ』の5つで構成されている。
だが、それとはまったく別の書物もある。
それが別名『大鍵』と呼ばれるもの。
太陽系にある7つの惑星から力を貰うこれは『小鍵』とは一線を引いている。
ありたいていに言ってしまえば占星術の分類ではあるが、惑星の力を再現する「護符」によって結果を起こすのだ。
そうして魔術書から発せられたのは7つの赤い紋章。
それがキャスターと2人の悪魔を覆う。
それぞれが魔方陣だと分かった時には変化が起こっていた。
「!?」
途端に優勢だったセイバーと悪魔の間に拮抗が生まれる。
セイバーの動きが悪くなっているのではなく、悪魔の動きが明らかに先程より良くなっているのだ。
それは動きだけではなかった。悪魔達の再生速度も上がっているし、運命に干渉する幸運値もあがっているのだ。
「赤い魔方陣! それではその紋章は……!」
「その通りだ。『大鍵』に記されし惑星は計7つ、今ではそれぞれが曜日として構成されているものだ。日の入り後の時間と曜日から、今は火の時。
貴様にとっては最も都合の悪い、戦いをつかさどる時よ!」
そう言い放って高笑いをするキャスター。
月火水木金土日。現在曜日をつかさどるこれらは神話の時代に判明していた太陽系を構成する惑星である。
一般的に知られるように、それらは神々の名を与えられる事が多い。
その中でも火星に当てはめられたのはローマ神話における軍神マルス。
当然その力を持つ紋章は、戦いを有利に運ぶ効果をもたらす。
キャスターがわざわざゆっくりと行進したのも、火の時間に合わせるためだったのではないか。
セイバーはそう思わずにはいられなかった。
先程まで強引にも押せた相手が全く押せなくなってしまったのだ。
「……相手に干渉する第3と第7は効果なしか。対魔力は宝具でも突破できんか、それとも突破できてはいるが効果は薄いか……。
いずれにしてもこれでそうやすやすとは余を倒せまい」
キャスター自身はセイバーに何もしようとしない。
悪魔2人にセイバーを任せるのは危険すぎるので突破はしない、かと言ってキャスター自身の魔術ではセイバーには傷1つつけられない。
故の静観。戦局を判断し、あくまで悪魔達のバックアップに回っていた。
歯噛みするセイバー。
拮抗が生まれている以上、もはや勝負は持久戦に持ち込ませるしかない。
いかにキャスターと言えども悪魔2人を維持、補助する魔力には限界があるはずだ。
一瞬でも力を落とせばすぐさま拮抗は崩れ去るとセイバーもキャスターも実感していたので、ペース配分などおかまいなしに全力でぶつかる。
だが、剣をまじえているうちにセイバーには疑問がわいてきた。
いかに拮抗を保とうともキャスターにはセイバーを倒す事はできない。
悪魔の軍を失った以上、天使の軍を召喚しない限り(それができればの話だが)キャスターには勝ち目はない。
それはキャスターにも分かっているはずなのに、彼は引き下がろうとしないのだ。
往生際が悪いとは言えない。ライダーを相手にした時には潔く撤退を選んでいた。
つまり、キャスターが引き下がらないのには何らかの理由があるはずだ。
ではその理由とは……?
ゴモリーが上からの叩きつけ、もう一方の悪魔が払うように攻撃を仕掛ける。
セイバーは後ろに下がる事で攻撃をかわし、追撃を剣で払って反撃に移る。
対象はライオンの頭を持った悪魔だ。
(ライオン……?)
そう言えばこのもう一方の悪魔。なぜ別行動を取らせていたのか。
そのように考えると、セイバーが答えを得るのは簡単だった。
一方のキャスターは内心でほくそえんでいた。
セイバーとはかろうじて拮抗を保っていて、セイバーのマスターも何かをするわけでもない。
アーチャーがセイバーと手を結んでいるかは分からないが、とりあえずは予定通りに進んでいる。
キャスターは勝つ必要はない。
負けなければ後はアレが目的を達成してくれる。
キャスターの表情が勝利を確信する者がするものに変わる。
隠そうと手で口元を押さえようとするが、もはやそれを隠し切れないでいる。
それを見たセイバーも、自分の考えが正しい事を悟った。
『いけない切嗣!』
すぐさまマスターへと念話を送る。
こっちに返事をくれなくてもいい。ただ話を聞いて欲しかった。
「く……くく……くはははっ!」
セイバーの焦りを見て取ったキャスターはついにたまらなくなって笑い出す。
周りの事を全く見ていない、隙だらけの笑いだった。
だがその隙すら目の前にいる悪魔はつかせてくれなかった。
「気づいたかセイバー! 余の真の目的に!」
「っ! それでは貴方はやはり……!」
「その通り。何が悲しくて他の魔術師の術中にいなくてはならんのだ。聖杯戦争などという枠組みなしに余ならば『聖杯』を完成できる」
キャスターははっきりと言い切った。
他の英霊がいる中で、しかもアインツベルンの領内で。
聖杯戦争には参加せずに聖杯に至ると。
そこには根拠は何一つもない。何しろキャスターは実物を見た事がない。ので知識も何もない。
だが、その言葉には絶対の自信のみしか存在しなかった。
魔術で創られた聖杯ならば、魔術をつかさどる自分の知識で完成に至れると確信していた。
この場にキャスターがいるのはただの時間稼ぎに過ぎない。
セイバーをひきつけている間に別の者が切嗣やアイリスフィールを襲う事が真の手段に違いない。
「だが悪魔軍が召喚できない以上、貴方には手駒は何一つないはず。まさか天使を召喚できるとでも?」
「……できなくはないがそのためにはこやつ等を一度消さねばならん。その隙を見逃す貴様でもあるまい」
同時召喚は不可能、キャスターはそれを断言した。
そしてレメゲトン他の章を使おうともそのためには第一章の使用をやめる必要があった。
それが宝具『小鍵』の制約であり、その隙を見逃すセイバーでもない事も分かっていた。
「ならばいかに代行者をよこした所で我がマスターたちには勝てない。貴方の計画はとうに失敗している」
「セイバーのマスターか。ああ、確かに戦いに身をおく者どもであってもあやつの打倒は困難を極めるだろうな。アレは探索するものではなく戦うもの。
ならば勝てぬのは道理と言った事か」
キャスターもまたセイバー対ランサーの戦いを見ていたし、その時に衛宮切嗣が何をしたのかも見ていた。
そして出した結論は、あの在り方ではたいていの魔術師は返り討ちにあうだろう、だった。
「『魔術師』でも『代行者』でもない。万一アーチャーがいたとて計画を成功にするだけの手駒を用いた、とだけ言っておこう」
「アーチャーがいても?」
まだ見ぬアーチャーのサーヴァント。セイバーと手を組む事を予測に入れていたキャスターはそれでもなお計画が成功するようにしていた。
だがアーチャーもまた英霊。その存在がいても成功するほどの手駒など限られている。
そして、その限られた中で最もありえる可能性を導き出した途端、セイバーの顔色が変わった。
「貴様、まさか今朝のアレは――!」
「正に慧眼なりセイバー!」
キャスターは笑みで顔を歪ませ、ローブで隠れていた右手の甲をセイバーの方へと見せた。
そこに在るのは光り輝く紋様。生命を模したように見えて別の存在にも見える、禍々しい刻印が刻まれていた。
「余が召喚した72柱の悪魔どもは、元は余が『封印』して『使役』している者だ。元は神であった存在が使役でき、元は人だったものができぬはずがない」
「くっ!」
焦りと怒りを圧し鎮め、目の前の敵を見据える。
今敵に背中を見せれば倒されるのは自分だと分かっているからだ。
「だが封印するも何も、彼は私が切り倒した。ならば貴方の介入の余地はどこにもないはず――!」
「何、単純に座から呼び寄せられた存在が座に戻る前にこちらを経由しただけの事。最も余が近くにでもいない限りそのような事は不可能だがな」
さすがにアインツベルンのサーヴァントであるセイバーとて聖杯戦争の仕組みまでは把握できていない。
座から呼び寄せた存在が、倒された後は消滅するとばかり思っていたが、その消滅をキャスターが何らかの方法で防いだ事になる。
「これこそが我が宝具、『生命の木』の真の効力だ。敗北した霊的存在をこの世に留めて契約し、その力を貰い受ける。
それが神であれ、英雄であれ、例外はない」
もはや隠す必要はない。隠した所で意味はない。
なぜなら、もはや勝利は目の前に来ているからだ。
「もはや貴様のマスターとやらは余の手先となった狂戦士によって葬られるのだ」
だから決定的な事実も述べる。
事の始まりは今日の早朝の手前、セイバーが出くわした事から始まった。
逃げも隠れもせずにセイバーの真正面に現れたのは、数日前にセイバー自身が倒したはずのバーサーカーだった。
疑問に思う余地もなくその場で戦いになり、逃げられてしまったが。
もはや何も言う必要はない。
このままいけば次に脱落した英霊が再びキャスターの手先になる事も考えられるし、このまま聖杯をキャスターに渡せばそれで詰みは確実だ。
二人のとる行動は決まっていた。
「もはや敗北は必至なり、セイバー!」
「ならば……貴様を切り伏せてどちらも退場願うまでだ、キャスター!」
セイバーの魔力放出が更に高まる。魔力の奔流がその場を支配するとばかりにセイバーを中心に巻き起こる。
それを見てもキャスターは怯まない。いかに剣の英雄と言えども強化を重ねた悪魔を倒すには時間が要るはずだ。
短期決戦と長期延長。戦ってはいたものの、2人の考えは全く違っていた。
/
脱落したはずのバーサーカーが目の前にいる。
もしその事実を今朝見せられていなければどんな対応をしただろうか。
いかに舞弥が幾たびの修羅場を潜り抜けていても、いくらアイリスフィールが優れた魔術師だろうと、英霊にはかなうはずがなかった。
「いえ、まだ――!」
だがここであきらめるわけにはいかない。
アイリスフィールはそう簡単に死ぬわけにはいかなかった。
それは使命のためではなく、人のために。
彼女はすぐさまバーサーカーと自分との周りの魔術構成を確かめる。
対魔力がある三騎士やライダーはおろか、他の英霊であってもこの程度気休めにもならないだろう。
が、それはバーサーカーを除けばの話だ。
はっきり言ってしまえばナルメルは有名な英雄でも王でもない。
何しろ『実在した』とだけしか分かっていないから、その詳細は専門家すら知らないのだ。
なら知名度による地形効果はゼロ。ナルメルがどれほどの英雄かは分からないが、バーサーカーとなってもなお理性を保っているとは思えない。
よって、幻惑の魔術が有効的なはずだ。
「■■■■■ーー!」
再びバーサーカーは咆哮をあげ、両手の斧をもってアイリスフィールに襲い掛かった。
その間一秒もなしにバーサーカーは間合いにアイリスフィールを入れ、一閃する。
いかなる障害をも粉砕するだろう一撃だったが、空を切るだけで終わった。
それに気づいたバーサーカーは敵を探し出そうとするが、その異変に気づいた。
バーサーカーの周りには何人ものアイリスフィールが存在した。
これが歴戦の英雄ならばこの程度の幻惑に惑わされずに済んだだろう。
だがバーサーカーの枠に押し込められた英雄は、その幻惑の中から本物を見つけだすのにも困難を極めた。
結局バーサーカーの下した結論は、全てを倒す事だった。
「……マダム、今のうちに退避を」
「いえ、バーサーカーは明らかに私達の居場所を分かっていて襲ってきました。おそらく遠く離れてしまっては追いかけてくるでしょう」
バーサーカーがあさっての方向に斧を振り回し始めたのを見て取ると、舞弥はアイリスフィールの元へと近づく。
その彼女はあくまで敵であるバーサーカーを見据えている。
アイリスフィールの返事に色を無くす舞弥。
「しかし相手はサーヴァント、私達では……」
「大魔術を使えば傷を負わせる事ができるはず。その隙に逃げましょう」
アイリスフィールはそう述べると、魔術の詠唱を開始した。
確かにアインツベルンの魔術師は皆戦闘が不得意である。
過去、英雄の中でも特に優れた者を呼びながらも聖杯に至れなかったのは他の魔術師に戦闘面でおくれを取ったためだ。
だがそれは魔術師として劣っているとはならない。むしろ魔術師としてなら勝っている事が多い。
故に、実戦技術はともかく魔術構成に関してはアインツベルンは凄まじいものがある。
言ってしまえば威力のある魔術が使えてもそれを敵に当てる事ができないだけなのだ。
だが今のバーサーカーは幻影を相手に戦っているだけで、アイリスフィールたちを知覚できていなかった。
その隙をついて大魔術を当てれば、いかに英霊と言えどもダメージを受けるはず。
そうなればしばらくは時間を稼げ、追われる事無く逃げる事が可能なはずだ。
そう思ってのこの行動だった。
「……」
そんなアイリスフィールを舞弥はただ見ているだけしかできなかった。
当然バーサーカーが万一の行動に出た場合、アイリスフィールをかばう事が出来るよう細心の注意を払ってはいる。
しかし、バーサーカーに対して何も出来ないのは歯痒かった。
当然英霊には通常攻撃はおろか、魔術要素を含んだ現代兵器でも通用するものは限られている事は知っている。
おそらくは通常の拳銃どころかライフルのように音速を超える弾であっても難なく対応してくるだろう。
それに当たった所でそれで敵にダメージを負わせられるかは別問題だが。
単純に回避不能なほどの速さで言うならレーザー兵器やレールガンほどのものが必要だと思われるが、実用段階ではない。
なので、当たらないならとロケットランチャーほどの威力が高いが持ち運びは困難なものは今持っていない。
手元にある武装はせいぜい手榴弾や拳銃程度。これでは英霊相手にダメージなど望めなかった。
「これで……終わりよ!」
何小節もの詠唱を数秒で済ませ、アイリスフィールは一気にそれを解き放った。
魔力の奔流はそのまま破壊の弾となりバーサーカーに襲いかかる。
これほどの威力があれば、いかに英霊であっても手傷を負う事になるはず。そう舞弥も思わざる得られないほどの魔術だった。
(いける……!)
バーサーカーはまだ幻を相手にしていて、魔力に感づいた様子は見られない。
この状態なら間違いなく対応できず、直撃は免れない。
アイリスフィールもまた成功を確信した。
だが、
「盾」
その一言が全てを変えた。
それはアイリスフィールでも舞弥でもなく、バーサーカーでもない。その声を聞いたのはこの3人ではなかった。
何が起こっているのか、目の前の出来事にアイリスフィールは信じられなかった。
バーサーカーを魔術障壁が覆っていたのだ。
障壁こそ破壊できたものの肝心のバーサーカーには全くダメージを与えられていない。
その事実にアイリスフィールは唖然とするしかなかった。
「……む、いかに遠隔魔術とは言え余の防御結界を突破するほどの魔術が使えるとは。現代の魔術師にもましなのがいたか」
キャスターは感心するようにうなりをあげる。
古代ヘブライ語での魔術を見たセイバーだったが、その効果がいっこうに現れない事に疑問視していた所にその言葉。
「だが幻惑の結界とは味な真似をする。いつまでも手間取るわけにはいかぬ。破らせてもらおう」
悪魔と戦うセイバーをよそにキャスターは笑みで顔を歪ませた。
遠隔魔術ならばかろうじて結界の効果を破壊できそうだったが、彼の下した結論は十分にセイバーを絶望させるものだった。
「バーサーカーよ。宝具を用いろ」
かつて理性を奪われているが故に令呪一個が必要だったバーサーカーの宝具使用。
だがキャスターには『使役』がある。この固有能力のある限り、令呪なしでも宝具の使用をさせる事が可能だった。
悪魔や天使を従えるキャスターだからこそ出来たものだった。
「■■■■■ーー!」
バーサーカーがそれに答えるかのように咆哮すると、勢い良く上空へと飛び上がった。
数メートルほどは飛び上がっただろうか。アイリスフィールと舞弥はそれを見て先程とは明らかに違う事に気づいた。
「「いけない!」」
アイリスフィールはすぐさま防御魔術の詠唱を開始、1秒ほどで完成させる。
舞弥はアイリスフィールをかばうように彼女の前に出る。あの状態からの攻撃が何であるか、それをギリギリまで見極めようとする。
「■■■■■■■■■!」
そして、バーサーカーの斧が地面に直撃した。
途端に地面が爆発をする。
そこに在った土はおろか、周りにあった木々をも衝撃波はなぎ倒していく。
ミサイルや爆弾であろうとこれほどの威力は起こらないだろう。
衝撃波が収まり土埃が立ち込める。
もはやクレーターと化したその場所の中央で、バーサーカーはゆっくりと立ち上がる。
大きく飛び上がり、敵陣真っ只中でこの技を行う事で敵の戦意を喪失させ、敵陣を崩す。
まだ投石器はおろか戦車すらなかった時代、敵の陣形をどう崩すかに骨を折ったのは言うまでもない。
バーサーカーの一撃はそれが目的で作られたものだった。
「う……ん……!」
アイリスフィールは全身を覆う痛みをこらえて現状を確認する。
自分は仰向けになって倒れていて、舞弥が彼女をかばうように抱えていた。
防御壁は間に合ったようで、アイリスフィールの痛みは地面に受身もとらずに倒れたもので、舞弥の怪我もそれほどではない。
だが2人にとっては致命的な事に、幻惑の仕掛けは今の一撃で吹き飛んでいた。
これでは間違いなくバーサーカーは自分達の存在に気づき、襲ってくるだろう。
ならばと即座にアイリスフィールは舞弥の治療を開始した。
今の状況をどうにかしようとあらゆる可能性を考え、絶望的なものしか浮かんでこない。
キャスターの援護が回ったバーサーカーに太刀打ちする事も逃げる事も、ましてや時間稼ぎすらできそうにない。
自身もサーヴァントを従えていればあるいは、だったがイフを語っている余裕もない。
正に絶望的な状況と言ってもよかった。
一方のバーサーカーは宝具の反動から復帰し、ようやく本物のアイリスフィールを捉えた。
そして真直線に襲いかかる。
回避も防御も出来ない絶対的な死の攻撃。魔術での対応も間に合わない。
「――っ!」
その攻撃を前にアイリスフィールは息を飲むしかできなかった。
心の中で愛する人の名を思い浮かべながら。
その時、疾風が駆け抜ける。
バーサーカーの斧による攻撃はアイリスフィールを確実に捉えていたが当たる事はなかった。
轟音と共に空を切るだけで終わってしまう。
獲物を仕留めそこなった事でバーサーカーは咆哮をあげた。
疾風のごとく現れたその人物はアイリスフィールと舞弥を抱えて5メートル以上バーサーカーと距離をとって停止する。
と同時に激しい動悸を抑えようと胸を引き裂くばかりに押さえつけた。
息は荒く、汗は滝のごとく流れている。
「無事……のようだね」
そうでありながらもその人物、衛宮切嗣はアイリスフィールに語りかけるのだった。
「切嗣! 貴方は――!」
「僕の事はいい。それより……」
城からの2倍速固有時制御の反動から何とか立ち直った切嗣はバーサーカーを観察する。
偽物ではない。確かにセイバーが一度倒し、今朝にもあった存在だ。
「まさかバーサーカーが新手とはね……キャスターも味な事をしてくれる」
「キャスターが――」
切嗣はキャスターが撤退せずに悪魔を別行動させている点から、キャスターが何らかの方法でバーサーカーを従えていると読んだ。
一度倒した英霊を同じ英霊が従えている事実にアイリスフィールは驚くしかなかった。
バーサーカーは切嗣達に相談させる間も無く襲いかかった。
白兵戦でバーサーカーに勝てない事は分かっている。とは言え小細工を用いた所でバーサーカーを倒せるかは分からなかった。
ここで取る手段は逃げるかセイバーを呼び出すかだったが……。
「
バーサーカーの攻撃をかわすのだけで詠唱を使ってしまい、令呪を使っている暇が全く来ないのだ。
固有時制御が『固有結界』の一種である限り、その維持にも膨大な集中力と魔力を用いる。
かと言って一瞬でもそれを解けばたちまちにバーサーカーの餌食になってしまう。
切嗣の待つ好機はたった1つの事だった。
それは……、
「アイリスフィール様から離れなさい、この無礼者……!」
武器を振るってやってきた。
目の前の標的にのみ気を取られていたバーサーカーはこの不意打ちに対処できなかった。
キャスターとてバーサーカーの状況は大雑把にしか把握できていない。少しでも気を緩めればセイバーに切り殺されるからだ。
背後からの一撃はバーサーカーに容赦なく襲い掛かり、倒れさせるのには十分だった。
とは言え正面からだと通用するかは微妙な所だが。
その攻撃を行った者がアイリスフィールを背にバーサーカーの前に立ちはだかった。
「ご無事ですか、アイリスフィール様」
自分の背丈ほどもある大剣を手にアイリスフィールの侍女が、こんな時でも礼儀を欠かさずに丁寧に述べた。
その直後に他の侍女達もそれぞれの武器を手にバーサーカーの前に立ちはだかる。
「あなたたち……」
「申し訳ございません。出遅れました」
侍女の1人がアイリスフィールに頭を下げて謝罪する。
とはいえ、侍女達も十分に短距離アスリート並の速さでアイリスフィールの元へと駆けつけた。
単純に切嗣の方が速かっただけの話だった。
アインツベルンの戦闘用ホムンクルスは単純に純粋な魔術師から見た戦闘をするものとして考えられ創られる。
魔術師ならば魔術回路は逸材で知識も技術も一級だが身体能力は劣る。逆に戦闘者の場合はそれに特化するために他の器官を犠牲にしている。
言ってしまえばとてつもなく極端で、一流をそろえようとしているのだ。
そんな彼女らを切嗣から見ればあくまで魔術師から見た戦闘者であり、真に恐ろしい存在ではないのだが。
だが、こうして白兵戦になってしまえば名のある執行者であろうとも苦戦は免れないだろう。
それが数人がかりならば、英霊が相手でもとりあえずはあっさり負ける事はないはずだ。
何しろ英霊の凄さはアインツベルンこそが一番良く知っているはずだから、それをふまえて設計している……はずだ。
これでセイバーを呼び出すことが可能だが、1つの可能性がためらいを生む。
セイバーを呼び寄せればキャスターが自由になる。となればキャスターはバーサーカーの元へと駆けつけるに違いない。
それまでにバーサーカーを倒しても、悪魔やキャスターの魔術を自分達がいる状態で全て対処する事が果たしてできるだろうか?
それを考えてしまうとキャスターをどうにかした方が一番効率的だった。
とは言ったものの、バーサーカーの猛攻は3人の戦闘用ホムンクルスでかろうじて対処しているものの、敗北は時間の問題だった。
バーサーカーを倒す事での解決は望めない以上、やはり動くしかない。
「アイリは僕と一緒に来てくれ。キャスターを叩く。しんがりとして舞弥と侍女たちに時間を稼いでもらう」
一刻も早くキャスターを倒す。これが切嗣の出した結論だった。
キャスター自身を倒さなくても悪魔さえどうにかしてしまえばセイバーはキャスターを倒せるし、アイリスフィールを逃がす事もできる。
令呪を使ってセイバーを増幅させればキャスターを圧倒できるかもしれないが、それは問題外だった。
その時、その変化は起こった。
「え……?」
アイリスフィールは思わず声を上げた。
何しろ侍女たちを圧倒していたバーサーカーが突然魔力の渦に包まれたのだ。
それが令呪による空間転移だと悟った時にはバーサーカーの姿はもはや消えていた。
と同時に起こった魔力の渦から1人の人物が現れ、
「剣」
魔術による一斉射撃が一行を襲った。
あまりに突然の事で、回避行動が取れたのは切嗣と舞弥だけだった。
実戦そのものに不慣れなアイリスフィールと侍女は防御しか間に合わなかったのだ。
だがアイリスフィールの防御障壁はいともあっさりと破壊され、一行に襲いかかる。
容赦ない大魔術の行使が終了した時、その場に立っていたのはかろうじて回避できた切嗣、彼に抱えられたアイリスフィール、そして、
「……死者はなし、か。不意打ちで放った魔術であるとは言え、見事であったな」
セイバーと戦っていたはずのキャスターだった。
「!?」
セイバーもまたその現象にはただ驚くばかりだった。
突然キャスターが魔力の渦に包まれたかと思うと、次に現れたのはバーサーカーだったからだ。
「■■■■■■ーー!」
標的が変わってもバーサーカーの猛進は止まらない。
ただ彼にあるのは目の前の敵の殲滅だけにすぎないからだ。
「切嗣、アイリスフィール……!」
先程よりこちらが追いつめられている事はセイバーにも分かってはいたが、駆けつける余裕を敵は与えてくれなかった。
切嗣が返事をしてくれない以上、彼が令呪を使ってくれるのをただ祈るしかなかった。
「キャスリング、とボードゲームでは言うらしいな。余は空間転移が出来ぬゆえ、余とバーサーカー双方の令呪を一個ずつ消費したのは痛いが、かまわぬ。
もはや余が目的を達成できるのであるからな」
勝者が浮かべる余裕の笑みでキャスターは語りかける。
だがその手は切嗣のほうへと向けられ、令呪の行使を含めた不穏な動きがあれば即座に魔術を行使してくるだろう。
アイリスフィールはおろか、切嗣にとってもキャスターの高速神言は脅威だった。
加えて空間転移の際に悪魔までもが同行していて、一瞬の隙も見いだせない状況になっている。
だがその悪魔は魔力の消費が激しい。セイバーとの持久戦の結果らしいが、倒していなければこの場では意味が全くない。
キャスリング、チェスで行うルークとキングの同時行動。
これを可能としたのがアナスタシアとキャスターが持つ、それぞれのサーヴァントの令呪。
同時行使を切嗣たちが行動を起こす直前に行い、不意打ちをしかけるものだった。
これを行わずをえなかったのはキャスターがセイバーに追いつめられていたせいなのだが。
その結果、前衛の侍女達は直撃を受けてその場に倒れ、舞弥はかわし損ねたために腹部を押さえて膝をついていた。
そしてなおも自分達より優れた魔術師と悪魔2匹は健在。もはやこの勝負は火を見るより明らかだった。
だがこの絶望的な状況の中、何とか活路を見出そうと時間の引き延ばしにかかる。
「アイリを狙ったのは聖杯が目的か」
「当然。いつまでも手の内で踊るつもりは余にはない。敗れるつもりは毛頭ないが、それでも『餌』として呼び出されるのは我慢ならん」
キャスターは切嗣の質問にあっさりと答えた。
キャスターの性格を考えれば時間稼ぎは可能だと思っていたが、どうやらうまくいったらしい。
アイリスフィールもそれに気づいたのでそれに加わる。
「餌ってどういうことよ」
「7人もの英霊が争う。それが手段ならば所詮は餌に過ぎん。それを隠し通せるとでも思ったのか?」
キャスターの表情が険しくなる。
「だから余はその『聖杯の器』を用いて独自の方法を見つけだし、「」に至ってみせよう。聖杯戦争などに付き合ってられるか。
さて、そこでだが……」
彼はアイリスフィールの方へと視線を移した。
アナスタシアから聞いた情報で、彼女がアインツベルンの者だと分かっていたからだ。
「聖杯の器をよこせ。さすれば余も寛大だ、バーサーカーを破棄した上でそなたらを見逃そう。場合によってはそなたらの願いを聞き届けてやってもよい。
何も聖杯を用いてまで叶えたい願いばかりでもあるまい」
勝利にはゆるぎなかったが、この後の事を考えてキャスターはこう提案した。
何しろ聖杯の器を手に入れてしまえば他の英霊から集中攻撃を受ける場合も考えられる。
そうなった場合、バーサーカーだけでは歯が立たない場合も考えられるのだ。
当然この提案を切嗣とアイリスフィールが飲める筈もなかった。
2人の悲願はそれこそ聖杯を用いてしか成し遂げられない事だ。
聖杯は断じて1人の魔術師が「」に至るために作られるのではない。もっと尊い願いをもって作られるのだから。
「……そこまでするあなたの目的はなんなの? まさか「」に至るのが目的?」
だが即答すればそれで時間稼ぎは終わりだ。
ふと疑問に思った事をそのままアイリスフィールは口に出した。
と、いうのにキャスターの表情は芳しくない。
「……現代の神秘に巣食う貴様らのような魔術師と同類に言うな、下郎。手段と目的を履き違えた、唾棄すべき存在とはな」
その言葉にアイリスフィールは視線をそらす。
それこそ今のアインツベルンに言える事だったからだ。
第三魔法、失われたその秘技のために一千年近く。
気の遠くなるほどの長い年月の果てに、ついにアインツベルンは手段と目的を履き違えるようになってしまった。
切嗣とアイリスフィールとて聖杯を手に入れるという『目的』のための駒に過ぎない。
アイリスフィールも切嗣と出会う前はその『目的』のために存在していた。
だが、聖杯の守り手となるために設計された人形であった彼女は切嗣と出会ったことで変わった。
彼のもつ理想には命を賭けてでもかなえる価値があると思っている。
聖杯を手段とし、誰もが泣かなくていい世界をもたらす。
もはやアインツベルンからは失われた、尊い願いがあった。
「じゃあ、あなたのは何だと言うの」
そんな切嗣の願いをそこらの魔術師と同列にみなすキャスターが許せなかった。
いくら神代の英雄といえども、そんな侮辱を言われたくはない。
キャスターがどれほど切嗣の事を分かっていると言うのだ――!
「そこまで言うぐらいだからたいそうな願いがあるんでしょうね」
だからアイリスフィールの語尾も自然と強まる。
それを見て取ったキャスターはため息をもらすと、余裕も誇りもどこにもない真剣な表情をみせた。
「神にできなかった事をする。所詮はそれだけよ」
「神にはできなかった事……?」
「そう……」
そしてキャスターは真の目的を言ったのだった。
「全てに救済を」
それにはアイリスフィールも、切嗣ですら驚きを隠しきれなかった。
だが次にはキャスターの表情は戻ってしまったために熟考する暇はなかったが。
「……しゃべりすぎたな。下郎に聞かせるには過ぎた願いだ」
キャスターの目に殺気がこもる。
侍女達は何とか立ち上がろうとするが身体が自由に動かない。
舞弥は2人を守ろうと一番前に出ていて、切嗣は何とか魔術をかわそうとタイミングを見計らい、アイリスフィールもどうにかしようと頭を回転させる。
「では貴様らを排除した上でゆっくりと探す事にしよう。余の手で葬られる事を光栄に思うが良い」
キャスターの顔が笑みで歪んだ。
そして、
「槍」
古代ヘブライ語での魔術をたった一小節で解き放った。
3人はそれぞれ行動をとろうとするが、あまりに詠唱がないために何の対処もする暇がない。
それぞれ思うところはあったかもしれないが、それを思う暇すらない。
魔術が着弾する。
回避も防御も迎撃も出来ない。さすがに大魔術を一工程ではできないために普通に魔術を使っただけだが。
勝利を確信していたキャスターが次に見たものは……、
「さ……さすがに怖かった……。対魔力なんて生前はあまりなかったしな……」
彼にとってはあまりに絶望的な、アイリスフィールたちにとっては不可解な現実だった。
「だが、とりあえずは間に合ったようだな」
そう待ち合わせと同じような口調で語る人物は、本来彼らの目の前にはいない人物だったからだ。
アイリスフィールは純粋に彼が来た事に疑問を持ち、侍女は主人を救ってくれたことに感謝し、切嗣と舞弥は裏を読もうとする。
だがキャスターにとっては計算外も甚だしかった。
槍の騎士、ランサーがキャスターの前に立ちはだかっている事は。
/
「莫迦な……なぜ貴様が敵であるこやつらを救う!」
「聖杯の担い手を殺せば聖杯に至れなくなる。自力で探せるおまえならまだしも他の魔術師にはほぼ不可能だ。ならどちらにつくかなど明白だろ」
そうは言いながらも深いため息を全く隠さないランサー。
あまりに時臣の命令が不可解だからに過ぎない。
時臣が命令を下したのはキャスターがバーサーカーのマスターだと名乗った時。
聖杯をキャスターが奪取すればその時点で聖杯戦争の勝者は決まったも同然だったから、聖杯の担い手を守護しつつキャスターを倒す。
そこまではよかったが、更に時臣はセイバーのマスターには手出し無用との命令まで下していた。
遠坂時臣が考える聖杯戦争は『魔術師の尋常なる戦い』だった。
それが魔術師として当然の事だと考え、そんな魔術師である自分を誇りに思っている。
魔術師でありながら暗殺者として動き、魔術師としての誇りを微塵も感じていない衛宮切嗣を許容できるはずがなかった。
故に、いかに切嗣がテロ行為を用いようとも、『魔術師として』衛宮切嗣を殺す必要があった。
当然それにはサーヴァントを用いた騙まし討ちや不意打ちは含まれていなかった。
それをランサーも理解できなくはなかったが、当然ながら不本意ではあった。
騎士としての尋常な勝負を望むならセイバーに加勢してキャスターを切り伏せていたし、戦争人としての戦いなら切嗣らを見捨ててその後にキャスターを
始末すれば万事がこちらの都合のいいように転がったはずだ。
騎士には騎士の、聖職者には聖職者の、魔術師には魔術師の、そして戦争人には戦争人のやり方がある。
いかに魔術師として誇りを持とうとも、相手が同じ土俵に立ってくれるとは限らない。
足元をすくわれなければいいんだが、と他人事のように思うランサーだった。
切嗣はすばやく頭を回転させ、ランサーの新たなマスターとなった時臣の考えを瞬時に見抜く。
なるほど、生粋の魔術師が考えそうな事だ。
だがそれが相当おめでたい事になぜ気づかないのだろうか、と内心で失笑する。
その絶対の自信による油断こそが命を落とす要因だというのに。
逃亡行為に走れば間違いなくキャスターはアイリスフィールを追い、ランサーはそれを阻むだろう。
だとしたらここはおめでたい魔術師のサーヴァントをせいぜい利用させてもらう、と密かに思うのだった。
「終わりだキャスター。誰がセイバーを足止めしているかは知らないが、逆にそいつはセイバーに足止めされ、おまえの目の前には俺がいる。
おまえの目的達成は不可能だ」
そんな切嗣をスルーしてランサーはキャスターにだけ集中する。
構えは名剣を左に持った状態の、右には何かを持っているように握る状態。
明らかにこれは過去に見せた、デュランダル発動時の構えだった。
セイバーほどの対魔力はないが、それでも対魔力は高い。
よって当然ランサーもキャスターより有利には違いなかった。
「おのれランサー、王である余の前でよくぞそこまでほざく。戯言は棺桶の中ででもするがよい!」
そんな事はおかまいなしにキャスターは悪魔たちに命令を下した。
何しろ先程のセイバーと違ってランサーは以前のバーサーカーにも苦戦するような者。明らかに騎士王より劣った英雄に違いない。
そして彼には守るべきアイリスフィールというお荷物までいる。
ならば、負ける道理などありえない。
一斉に命令を受けて襲いかかる2人の悪魔。
と同時にキャスターは詠唱を開始。高速神言によって大魔術の詠唱を一秒足らずで終わらせ、解き放つ。
悪魔の狙いはランサー。当然ランサーの気をそちらにそらすため。
キャスターの狙いはアイリスフィール。ランサーに対処させないために悪魔と同時に攻撃が与えられるよう調整した。
もはや抜かりなどない。
デュランダルを用いようとも悪魔を切り伏せるだけでキャスターには届かないし、その時にはアイリスフィールは死んでいる。
逆に魔術に対応しようとすれば悪魔に絶対的な隙を見せる事になり負傷は免れない。
勝負は決まった。キャスターは確信していた。
「
ランサーはためらう事無く名剣を振り切った。
斬撃は瞬く間も無く悪魔達を両断した。
だがその攻撃はキャスターにまで届いていない。『大鍵』の効果もあって威力が消されたのだ。
魔術を前にとっさに魔術の詠唱を開始するアイリスフィール。
切嗣にとっては予備動作の無い魔術の方が予備動作のある大魔術より怖い。なぜなら対処する時間がないから。
その点先程よりも冷静に回避行動に移る事にする。
「―――――――――」
だが、その必要すらなかった。
アイリスフィールが見たのはキャスターの大魔術がいとも簡単に引き裂かれる様子。
それにただ驚くキャスターの唖然とした表情。
そして、右手にもう一本の剣を持ったランサーだった。
瞬いた瞬間にはもうランサーの左手にデュランダルがあるだけで、右手の剣は消失していた。
ランサーはためらう事無く間合いをつめ、キャスターに向けて一閃する。
かろうじて我に返ったキャスターは一工程で魔術を構成しそれに対応するが、術が弱かった。
「が……っ!」
あと数ミリ深ければ即死、それほどの大きな致命傷を受けてしまう。
このままでは数分持たずにバーサーカーともども脱落してしまう。
キャスターは捨て台詞すら残さずに霊体化し、退却する事にした。
悪魔も失った以上もはや勝ち目が無いのは明白だったからだ。
屈辱にまみれながらも、彼は生き残る道を選んだのだった。
「……しまったな。逃がしたか」
ランサーは右手で頭を抱える。
頭の中では後悔でいっぱいだった。
キャスターの悪魔と魔術の両方に対応するにはデュランダル以外の手段が必要だった。
デュランダルには聖堂教会がこの聖杯戦争での『聖杯』をはるかに超えるほど喉から手が出るほど欲しい聖遺物が納められている。
が、ランサーはその使用が不可能であり、ただの物として使えば喪失は免れない。
かと言って自身の洗礼詠唱では長ったらしくて間に合わない。
と思ったのでとっさにもう一本の剣を使ってしまったが、それをこれ以上見られないよう消してしまった動作が無駄を呼んだ。
それさえなければキャスターを倒せていたのだが……。
ついでに言っておけば、本来ランサーの戦い方は両手持ちかもう一方の戦い方だ。盾を装備した剣の片手持ちの戦いはした事が無い。
セイバーで召喚されたら分からなかっただろうが、ランサーである以上、キャスターへのとどめは行えなかった。
何しろ宝具使用で左片手のままだったから。
実はランサーが仕留めそこなったのは『大鍵』の効果が有効だったからだが、その可能性は全く考え付かなかったりする。
ようは何もかも中途半端だった、に繋がるのだが現実逃避する事にした。
過ぎた事よりこれからの事だ。
聖槍こそ使わなかったもののもう一方の剣を一瞬でも使ってしまった。
あのタイミングでは判別はできないだろうが、それでも真名判明に繋がる可能性は否定できない。
と、言った所で真名がばれてもやる事は同じなのだが。
「切嗣! アイリスフィール!」
その直後、膨大な魔力と共に現れたのは先程まで激戦を行っていたセイバーだった。
バーサーカーはキャスターと同時に離脱したために駆けつけてきたが、ランサーを見て取ると不可視の剣を出現させた。
「……キャスターから我がマスターたちを救ったのは貴方でしたか、ランサー。利害の一致だとしても、貴方に感謝を」
「何、こちらも貴女の宝具は拝見させていただいた。等価交換はこれで十分だろう」
剣をかかげて頭を下げるセイバー。当然そのしぐさの間にも油断の文字は一切無い。
そのランサーも剣をセイバーの方へと向けて構えをとる。
「では聖杯戦争に則り、この場で決着をつけさせていただく」
敵対するサーヴァント同士が会う時は、決着以外にする事などない。
セイバーは凛とした物腰で脇構えを取る。
彼女のエメラルドの瞳はランサーのほんの少しのしぐさだろうと見逃さず、すぐにでも動けるよう重心を置いている。
それを見て取ったランサーは笑みを浮かべた。
「是非も無い。いざ尋常に――」
『何をしている。もはやその場には用はないだろう。帰還しろ』
「……」
で、一秒足らずで相当不機嫌な表情に変化する。
急に時臣の指示が頭の中に響いたからだ。
もはやセイバーの宝具と真名は判明。後はそれを元に戦うだけだ。
が、どうやらランサーと時臣では決着の時に大きなずれがあるらしい。
その事実に深いため息をもらして落胆し、剣を消失させる。
「残念。騎士王、決着はいずれまた」
そう言い残して霊体化し、その場を離脱した。
ランサーにはもはや何も言う事はなかった。
聖剣を前にしても彼には脅威など全く感じず、ただ感動した。
セイバーとはいずれ雌雄を決するだろうが、その時は結果ではなく過程が最高な勝負にしたいものだ、と思うのだった。
『エクスカリバー、聖剣か……』
一方の時臣はため息しか出なかった。
ライダーのような対軍宝具でもない。もはやそれは要塞1つをも攻略できる、文字通り対城宝具の域に行っているだろう。
キャスターの軍があのザマではライダーの軍とてアレ一発で終わりだろう。
ではランサーがセイバーと戦った場合どうなるだろうか?
デュランダルはためが少なく連発は可能だろうが、即死に追い込む宝具ではない事は分かっている。
と言っても聖槍はおそらく聖剣と同程度のためが必要なはずだ。一度も見ていないその効果に期待するのは危険だ。
だとしたら、キャスター戦で見せたもう1つの剣が鍵になるだろう。
残った敵はアサシンとアーチャー。
アーチャーについては対処法が分かっているだけに問題ない。なら、残るは1人。
この調子でいけば、工房を出て戦場に立つ時は近い。
「切嗣、アイリスフィール。申し訳ございません。私がもう少ししっかりしていればこのような事には……」
「いいのよセイバー。3人の英雄が集まったこの場で死傷者がいなかったんですから」
アイリスフィールは傷つき倒れた侍女達に治療魔術をかけながら、セイバーの謝罪に答えた。
だが運命の天秤が少しでもキャスターに傾いていれば、例えばランサーがキャスターに加勢していたら、間違いなく倒れていたのはアイリスフィール達だ。
キャスターを少しでも早く切り伏せていればこのような状況にはならなかったものを、と思ってしまうが、それをいつまでも引きずるセイバーではない。
「……バーサーカーが普通に離脱した所を見ると、ランサーはキャスターを仕留めそこなったようですね」
「ええ。キャスターは深手は負ったけどそのまま逃げていったわ」
「それでは魔力が回復し次第72柱第10位のブエルによって完全回復してしまうでしょう」
「令呪を一個ずつ使わせただけでも良しとしましょう」
確かに結果からすればこの戦い、キャスター達はそれぞれ令呪を一個失い、セイバーは真名を晒した。
ランサーの事はさておき、セイバーにとっての懸念材料はもっぱらキャスターにあった。
聖杯を得るために聖杯戦争に参加するのではなく、聖杯を得るために聖杯戦争を放棄する英霊、ソロモン。
その手段から考えて再びセイバーやアイリスフィールの前に姿を現すのは明白だ。
そして、今度はバーサーカー以外の英霊を従えている可能性もあるのだ。
「切嗣」
だからセイバーは意を決して進言する事にした。
誠意だけではまた無反応のままだろう。だがその中に説得力を持たせれば必ずや聞いてくれるに違いない。
その思いと共に、自分が最善だと思う事を。
「キャスターが健在な以上、いつ再びアイリスフィールが狙われるか分かりません。再びこのような状況に陥ってしまった時、今日のようになるかもまた。
ここは以前アイリスフィールがおっしゃったとおり、彼女を代理マスターとして常に私が警護した方がいいかと思います」
「ねぇ切嗣、キャスターが神殿に立てこもってしまったら攻略はしばらく困難よ。ここはセイバーとあなたを十二分に生かすために私が必要なはずよ。
決断して切嗣。あなたは1人で戦っているのではないのよ」
アイリスフィールもまたセイバーの言葉で『説得材料』が出た事に気づき、彼女に賛同する。
その切嗣は舞弥の手当てをしながら今後の事で熟考していた。
まだ敵は全員健在。その内キャスターはバーサーカーを従えて常にアイリスフィールを狙っている。
となれば微妙な差で下した結論、切嗣の案よりアイリスフィールの案の方を取るべきなのは明白だった。
アイリスフィールの危険性、セイバーの有用性、自分の動き。
全てを改めて吟味し、迷う事無く決断を下す。
「分かった。アイリにはセイバーの『マスター』になってもらう。僕らはその間に他のマスターをあぶりだす事にするよ。
どうも今回は増長してる魔術師が少ないようだからね」
「分かったわ」「分かりました」
アイリスフィールとセイバーは同時に返事をする。
もはや手段は選んでいられない。
マスターが最前線に現れるのは今のところライダーのマスターと蒼崎橙子だけ。
そのライダーが蒼崎橙子のサーヴァントになった以上、他のマスター4人に関しては全く出てくる気配がない。
ならば出てきざるえられない状況を作り出し、その時にしとめるのが最善の手段だろう。
何しろ名にしおう騎士王ことアルトリウスが召喚できたと思ったら、敵は征服王イスカンダルを始めとして王ばかり。
バーサーカーですら王なのだから、この分だとアサシンまでがハサン・サッバーハではなく王であってもむしろおかしくない。
誰も彼もがセイバーでは一筋縄にはいかない者な以上、それを従えるマスターを殺害するしかない。
「切嗣、我が剣にかけて必ずやアイリスフィールを護りとおしてみせます。それまでどうか御武運を」
セイバーはマスターを狙う切嗣の方針には何も言わない。
英霊に覚悟があるようにマスターとして参加した魔術師も相応の覚悟があるはずだ。
これが戦争である以上、敵に情けをかければそれが自分たちに帰ってくる可能性だってあるのだ。
ただ、彼女は勝敗を共にする存在として切嗣をあんじたのだった。
自分の事よりも、切嗣にはぜひアイリスフィールと共に尊い理想を実現してほしかった。
自分には世界との契約がある限り別の場所でやり直しがきく。だが2人は今こそがたった一度の機会なのだから。
そして、ささやかで笑顔に満ちた家庭としての生活が送れるように……。
「……やる事は決まったな。それじゃあ解散する事にしよう。舞弥は街に戻って情報収集に当たってくれ。僕も街に向かうが別行動にする」
「わかりました」
舞弥は腹部の手当てを終えて間もないと言うのに淀みない返事で答え、その場をあとにした。
アイリスフィールが彼女を治療しようとしたのだが、アイリスフィールの治療魔術の性質上被術者の負担が多いので、切嗣によって止められてしまった。
聖杯戦争が短期決戦な以上それもやむをえないのだが……魔術師であるアイリスフィールは釈然としなかった。
「アイリはセイバーを従えて自由に行動してくれ。盛大に、華やかにね。侍女はアイリに従っているからアイリが指示を出してくれ」
「わかったわ」
アイリスフィールはうなづいて侍女たちに命令を下した。
彼女たちを皆殺しにするべく放った魔術の直撃を受けたのだが、かろうじて皆動ける程度にはなっていた。
いかにアイリスフィールの治療魔術がホムンクルスに優れているとは言え、完全回復には半日は見積もっておくべきだろう。
それまでは城に待機させておかねば。
頑なに拒否する侍女達ではあったが、セイバーがアイリスフィールを護衛する事でようやく納得してくれた。
「アイリスフィール、明日からは更に過酷な戦いとなるでしょう。今のうちに休息を」
「いえ、セイバー。キャスターに破壊された結界を修復しないとこの城は無防備な状態よ。今日は夜を徹して作業を行います」
切嗣は早速今後の事を相談するアイリスフィールとセイバーを眺める。
セイバーに対して思う事はある。
だが語る事はない。
なら何も言う必要はなかったし、言うこともなかった。
切嗣は無表情のまま無言でセイバーの横を通り過ぎ、
彼女の肩に手を置いて立ち去っていった。
「……!」
振り返るセイバー。だがもはやそこには切嗣の姿はなかった。
セイバーは切嗣の手が置かれた肩に自分に手をそっと置く。
それを見ていたアイリスフィールは、笑顔を零さずにはいられなかった。
「一歩、前進ね」
「切嗣……」
九年前、アイリスフィールが出会った時の切嗣からは考えられない動作。
それがセイバーの士気を高めるための手段に過ぎないのか、それとも純粋な動作なのかは判断しかねたが、とにかく一歩進んだには違いなかった。
「アイリスフィール、私はいかなる大英雄が相手であろうと必ずや勝利をおさめます。剣だけではなく、私の全てに誓って」
セイバーは厳粛な面持ちを持って宣言する。
この時は王ではなく、剣士でもなく、切嗣とアイリスフィールを守るための騎士として。
その手はまだ肩に添えられたままだった。
「ええ、絶対に勝ちましょう」
アイリスフィールもまた玲瓏な美貌で笑みを浮かべて述べる。
衛宮切嗣の夫として、セイバーのマスターとして、そしてイリヤスフィールの母として。
その手は胸に添えられていた。
夜は終わり、朝が来る。
多分続くんじゃないか?
舞弥は出そうか出さないか非情に悩みましたが、結局出す事に。
突っ込まれそうな箇所はあらかじめ列挙しておきます。
・アナスタシアはゴモリーを使って神殿内から見てしゃべってます。なのでゴモリーのしぐさはアナスタシアのをそのままトレースしています。
・ソロモンの大鍵の名前はマジで適当。語学の教養がないので苦肉の策です。
・アイリスフィールが攻撃魔術が使えるのは独自設定です。
いくらアインツベルンの魔術が錬金術でもマスターとして参加するなら覚えていても不思議はないな、と言う事で。
防御魔術は漫画版Fateでイリヤが使っていたので。
・アインツベルンの戦闘用ホムンクルスに関してもほぼ独自解釈です。
セイバーと切嗣の関係は原作から受ける印象と若干異なるかもしれません。
それに関して解決するのは最後になると思いまので、この場での説明は控えさせていただきます。
前回と続いて何度も指が止まりました。見直しても違和感があって書き直し、が多くてこの頃困ります。
……難しい。
それでは今回はこのへんで。
2007年5月14日