#00 プロローグ




 『ここ』ではない、どこか。


  ヴヴヴ…ン


 微かな起動音。静かな――文字通り“無音”の空間を震わせる微かな空気振動に呼び起こされたかのように、『それ』はぎょろりとしたひとつ目を開いた。
 上下左右を何度も何度も廻る瞳孔が映すのは、しかし深く濃く、気を抜けば一個の生物の存在程度は容易に飲み込んでしまいそうな、文字通りの暗黒の空間だけだ。

 そんなこの世の深淵とも言える異様な場所にありながら、『それ』はある種の興奮に身を震わせていた。
 目覚めた事自体を喜悦するかのように。存在を得た事に歓喜の叫びを上げるかのように。

 ――と。
 『それ』の真横、数十センチも離れていない位置に、『それ』と同じようなひとつ目が開かれた。
 隣り合ったふたつの眼球。しかし、それは決して対となる物ではない。そして、それらに呼応するかのように、その周囲でも同じようなひとつ目が次々と、次々と、次々と――数え切れないほどに開けられていく。
 異様な光景だった。もっとも、光源のまったく届かないその場所では、その様子を網膜に捉える事自体が不可能に近いのだが。


  ヴヴヴヴヴヴ…!


 最初のひとつ目を、引いては開かれた眼球のすべてを呼び覚ます原因となった起動音が、一層の響きと重みを増す。
 “ひとつ目たち”はほんの一瞬だけ、驚き竦むようにさぁっ、と動きを止め、息を潜めたが、今度はその振動に呼応するかのように身体を震わせ始め、次第に起動音に同調し、その振動を大きくしていく。
 初めは蝶が羽ばたくようだった微弱な音は、いつしか重なり合い、共鳴し合って、大きさを自在に変化させていく。海岸に押し寄せる小波を思わせる不規則な振動が、しばしの間その空間を支配した。


  シャアアァァァァァァァァアアアアアア…

  フィィィィィイイィィィュウウウウゥゥ…


 ――我々ニ『個』ナシ。
 ――我々ハ『集』アッテ意味ヲ成スモノ。


   漠然とした『意思』が、そこにはあった。ひとつ目一個では表し得ない、しかし無数に開いた瞳が一堂に会してこそ表せる『意思』。いつしか猛威を振るう津波の如き唸りを手に入れていた暗中の奔走も、呼び水となった何かの起動音が徐々に小さくなるに連れ、その勢いを静めていった。
 そして、いくらかの時間が経った後には――『そこ』の何もかもが元のままに戻っていた。



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