#04 「もしや」、の出会い




 開かれた扉の隙間から流れてきた不思議な香りが、パサラの鼻孔をくすぐった。
「む?」
 香ばしいとも甘いともつかない、今まで体験した事の無い新鮮な香気。何だろう、と思って手が止まった所に、部屋の中から声が掛けられた。
「あのっ、ノエルさん?」
 澄んだ印象を受ける声。しかしその声色はどこか不安に怯えているようで、硬い。
 声の主はおそらくベイリーフ……だろう。部屋の中には彼女以外に誰も居ないのだから間違いない。まさか向こうから声を掛けてくるとも予想しておらず、完全に虚を突かれてしまった格好だ。
「えっと……お邪魔します」
 意を決して部屋を覗き込んだパサラとベイリーフの目が合って、一瞬、彼女が息を呑んだのがはっきりと分かった。
 あれやこれやと考えていた会話の段取りに、いきなりひびが入る。
 救助された時、ベイリーフは気を失っていたからこちらの素性は知れていないのだ。だから善悪の判断がつかずに警戒されるのは仕方がない。割れ鐘のような心臓の鼓動を収めようと、そう自分自身に言い聞かせながら続きを紡ぎ出す。
「あー……その」
 気まずい空気にパサラは内心頭を抱えるしかなかった。背にした扉の向こうで黄金とノエルが耳をそばだてているのを想像すればなおさらだ。
「驚かせてしまったなら、ごめん。君を助けた救助隊の者でパサラっていうんだけど……」
「きゅうじょたい……?……あっ」
 ベイリーフの瞳が小さく見開かれた。
 一応、ノエルから話だけは通っていたのだろう。ベイリーフの表情から警戒の色がわずかに取れたのを感じ、パサラはほっと息を付く。
「と、とりあえず、怪しい者じゃないって事は分かってもらえたかな?」
「は、はい。すみません……ちょっとびっくりしてしまって」
「いや、こんなナリだ、初対面の相手には大抵そういう顔をされるから」
 肩をすくめてみせる。ベイリーフは思わず面を振って否定したが、まぁ、今回も例に漏れなかったのは先ほどの言葉からも明らかである。
「話ができるようになったって聞いて様子を、と思ったんだけど……入ってもいいかな?」
「は、はい!……どうぞ」

 ノエルの診察室も兼ねている部屋の中は決して広くはないが、とにかく物が多い。
 木彫りの机や棚にはあちこちから調達されてきた薬が並び、藁やクッション材を利用した診察台もある。ポケモンしかいない世界ではあるが、人工的な道具を使う文化があることにパサラも最初は驚いたものだ。
 パサラが「元」人間であることが通じたように、一応この世界にも人間という概念は存在しているらしい。現在は何らかの理由で姿を消してしまった彼らの遺産を、ポケモンたちは試行錯誤しながら活用しているということだった。

 ベイリーフの寝かされた診察台に相対して、パサラは話を切り出す。
「調子はどう? こうして話が出来てるから安心してはいるんだけど」
「はい……大丈夫です。ただちょっと状況が飲み込めていなくて。ここがどこなのかとか……簡単な説明はされたんですけど、混乱してて追いつかなくて」
「了解だ、その辺りは少しづつ説明していこう」
 ベイリーフは柔らかそうな素材の敷かれた診察台に伏せるように寝かされており、その上から布がかけられている。最初の様子から比べると、これといった警戒心は感じられず、それどころか、どうなることかと身構えていたパサラの緊張感のほうがスルスルとほどけていくようだった。
 近付いてみて分かったのが、部屋を覗いたときに嗅いだあの不思議な香りはベイリーフから発せられているようだった。
 ベイリーフというポケモンが首周りの葉のような部位から発する香りは、ポケモンの生体機能を活発化させる効能があると聞いたことがある。どこか控えめになりがちなこういう話の場では、パサラにとっては良い効果となっているのかもしれない。
「改めて自己紹介するが、自分の名前はパサラ。救助カスケードのリーダーをさせてもらっている」
「私は……名前、アルマといいます。助けていただいて、ありがとうございました」
 小さく頭を下げるベイリーフ――アルマ。
 救助した折にも確認はしたが、見たところこれと言った外傷はない。当時は随分衰弱していたようにも思えたのだが、この短時間で話せるレベルまでよく持ち直したものだ。
「いいって、それが仕事だから。それよりも聞きたいことがいろいろあるんだけど……ひとまず挨拶もできたしノエルさんたち呼んできたほうがいいかな?」
 ちらりと扉の方を見やるパサラ。
「あ、それなんですけどノエルさんに――あっ」
 小さく声を上げたアルマの懐で、何やらずんぐりとした物がもぞもぞと動いていた。何事かとパサラが覗き込むと、両手で抱えられるほどの大きさしかない、ポケモンの子供が幸せそうな寝顔を覗かせた。
 倉庫屋の店主ノエルの一人娘で、名前はアン。子供ながらノエルの店の手伝いもしているしっかり者だが、今はすっかり夢心地といった様子で寝息を立てている。
「この子、私が目を覚ましてからノエルさんと一緒にお世話してくれてたんですけど、さっき寝ちゃって。こういう時どうしたらいいかわからなくて」
「最初におばさんの名前が出たのはそういうことか……びっくりしたよ」
「す、すみません」
「なに、アンも君の傍が安心できたんだろ」
 パサラは起こさないようにアンを抱え上げると、部屋の隅に置かれた小児用ベッドに移し変えた。引っ張ってきた別の毛布にくるまってぐるぐると喉を鳴らすアンの様子に、アルマもようやく安心したようだ。
「扱い、慣れているんですね」
「ん。……まぁ仕事柄、少しはね」
「寝ておけって言われてあまりお話はしてないんですけど、さっきノエルさんが言ってました。英雄に助けられてアンタはラッキーだって。パサラ……さん、そうなんですか?」
「参ったな」
 パサラは頬を掻く。

 いまだに慣れないその呼び名で反射的に思い浮かべるのは、この世界の終わりとさえ言われた隕石の落下騒ぎ。そして隕石を破壊する力を持つレックウザの住む遥か上空を目指して《カスケード》の仲間たちと『天空の塔』最上部まで登った辛い道のりと、そこで起こった激しい戦いだ。
 結果的にレックウザの協力を得たことで隕石の脅威は破壊され、世界は落ち着きを取り戻した。そうしてポケモンたちが元の生活に戻っていくらかの時間が経った頃から、パサラの周りでは世界を救った救助隊《カスケード》のリーダーである彼を『英雄』と呼ぶ声が少しずつ増えていったのだ。
 しかしそんな名誉の呼び名を前に、パサラは戸惑うばかりだった。
 評価が得たくて『世界を救う』などというミッションに挑んだわけではないし、そこに至るまでの決して平坦ではない道のりは、自分一人の力で乗り越えてきたものではないからだ。多くのポケモンたちと関わり、協力が得られたからこそ今の自分があるわけで、自分一人が持ち上げられる所以は何一つない。

「みんな大袈裟に言ってるだけさ。自分としては無我夢中でやっただけだよ」
 それに、パサラにとってはすでにそんなことは過去の話だった。世界を救おうが救うまいが、今は他と何ひとつ変わらない一救助隊《カスケード》の隊員のつもりだ。
「でも、パサラさんの話をするノエルさん、なんだかとっても誇らしげでした」
「ホントかなぁ? またあとで聞いてみるよ。背中ひっ叩かれるかもしれないけど」
 肩をすくめたパサラに、アルマは小さく笑う。
「ま、ともかく二人を呼んでこよう。君の身元も確認しないといけないし……あ、一応救助者のサポートは救助した隊が責任を持って、ってのがルールになってるから何かあったら自分たちが――……どうした?」
 言葉を切って、パサラはアルマの顔を覗いた。
 一瞬パサラの見やり、再び伏せられたアルマの赤い大きな瞳が心なしか不安気に揺れている。
「あの、実は……」
 後方で遠慮がちに扉が開かれる音がした。そろりと顔を覗かせるのはノエルと黄金。静かになった部屋の中を冷やかすつもりだった二人は、沈痛な面持ちのアルマの表情を見て取って、何事かと顔を見合わせる。


◆   ◆   ◆


「思い出せないって?」
 怪訝そうなノエルの声。
 黄金と共に室内に招き入れられたノエルにはパサラが椅子を譲り、腰掛けるその腕の中にはアンが抱かれて静かな寝息を立てている。背後に黄金、パサラという格好でアルマを囲う。
 力なく頭を垂れて、アルマは答えた。
「よく、分からないんです。目を覚ます前のことを考えると頭の中にぽっかり穴が開いた感じに真っ暗で、そこから先が出てこなくて……」
 語尾がかすれる。ポケモンに「顔色」というものはないのだが、先ほどまでの落ち着いた様子は見る影もない。小さく首を振るアルマの身体もひと回り小さく見えた。
「記憶喪失ってやつかねぇ。身元が分からないんじゃ話も進まないし……参ったね」
 言葉とは裏腹に、ノエルに慌てた様子はない。この辺りの症状に相対するのは少なからず経験があるのだろう。救助したポケモンが、外的ショックで一時的に記憶に混乱を起こすといった例は、パサラの経験の中でも何度かある。
「すみません……お役に立てなくて」
「なーに言ってんの、自分のことなんだから、時間がかかってもちゃんと思い出すんだよ。どっちにしろしばらくは出歩かず安静にしとかないといけないし、じっくりゆっくりね」
 うなだれるアルマの頭をポンポン、と撫でる。
「パサラもそれでいいよね?」
「え?――はぁ、まぁ」
 振られて、パサラは生返事をするだけだった。
(嘘を言っているようには見えないんだよなぁ)
 一番有力な情報源となる本人がこれでは、ノエルが言ったように時間が解決してくれることに期待する他ない。しかし、気がかりとなるのはアルマを発見した当時の状況だ。
(衰弱はしてたけど傷を負ってるわけでもなく、それに水を飲んでる様子もなかった。まさかとは思うけど……)
 ちらりと横を見た視線は、示し合わせたように黄金のそれとぶつかった。
 その黄金が静かに口を開く。
「一時的なものかもしれん。様子を見てみるのが妥当かもしれんな。救助隊の責任として、今後の彼女の世話はパサラと救助隊《カスケード》に任せるが、よろしいか?」
「は、はぁ」
「体力が戻ったらこの界隈を案内してあげなさい。色々と物を見ているうちに、思い出すこともあるかもしれん。それと、出来ればだが……」
 語尾を小さくし、最後は耳元で囁くように、
「教えておいたほうがいいかもしれん。君のことも」
「黄金さん……」
「もしや、ということもある」
 気を取り直して、と喋り始めるノエルを横目に、黄金はまだ何かを考えているようだった。冷静沈着を地で行く彼の心にさざなみを立たせる今回の『漂流者』は、一体何者なのだろうか。
 彼の言う「もしや」が表す意味を想像しながら、パサラはふぅっ、と息をついた。

 もしや――こんな例は、自分だけで十分だと思っていたのだが。




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