#05 疑念と信念と




 ポケモン広場からほど近い砂浜に、パサラは立っていた。
 広場の西部に位置するこの砂浜は、そのまま大陸から突き出した陸地の縁に沿って地続きになっている。少し場所を変えれば先日アルマを保護したあの場所も視界に入るだろう。
 先程まで付近で遊んでいた子供ポケモンたちも、日没が近くなったこの時間になって姿を消した。今砂浜にいるのはパサラだけである。

  ザザ…

 静かな波音の向こうで、夕日が水平線へと沈んでいく。
 ふと、パサラは目を閉じると、小さく両手を開いてその全身に茜色の太陽光を浴びた。

  ザザ…

 波音は途切れることなくその静けさを耳へと伝え、太陽の光は瞑目した瞼の裏からでもはっきりとわかる。
 音も光も、この世界を構成する重要な要素だ。ただありふれているからこそ、意図して体感しなければどこか当たり前の存在として認識してしまいがちだ。
 もし世界から光も、音すらも失われてしまったとしたら……想像もつかないことである。

 あの時、浜辺で倒れているアルマの体に触れたパサラの脳裏に突如として去来したのは、そんな当然のことすら失われた、暗く、ただただ静かで冷たいイメージだった。その正体すら掴めていない今、あれが何だったのか、何の意味を持っていたのかはわからない。
 ただ残ったのは、言いようのない恐怖感だ。

 音も、光もない世界。
 アルマと何か関係があるのだろうか。



「おーい」
 ふと、背後から掛けられた声に、パサラは振り返る。
 聞き知ったその声は、救助隊《カスケード》副リーダー、ヒエンのものであった。
「待たせたか?」
「子供たちが遊んでくれたから退屈しなかったよ。むしろ、謝るのはこっちだ」
「いいさ、代打のラグナもいい仕事してたしな。依頼の方はキッチリこなしてきたぜ」
 この時、パサラがアルマを保護してからすでに三日が経過していた。
 救助隊を営む者たちの間での取り決めとして、保護されたポケモンの身元がわからないうちは居住や慣れない土地での食事など、身の回りの世話は救助した隊の者が責任を持つ、というものがある。アルマの一件はこれに該当するのだが、今回は顔見知りであること、そして黄金とノエルの『たっての希望』により、パサラがその役目に着くことに決まってた。
 とは言え、そもそもアルマの保護は《カスケード》の活動計画には入っていない偶発的な出来事だ。当然ながら《カスケード》には息つく間もなく次の依頼が入っていて、しかしリーダーを欠いたからといってキャンセルするわけにもいかない。
 そんなわけで、本来パサラとヒエンで担当するはずだった依頼を、今回はひとまずパサラの代役を立てて凌ぐこととなったのだ。
「ラグナには後で謝らないとな……ところで、当の本人の姿が見えないけど、どうしたの?」
「ペリッパー郵便局に用事があるんだとさ」
 つかの間、虚空を見遣り、
「依頼の間、ラブレター書くヒマがない、って嘆きを再三聞かせられたからなぁ……」
「……あ、相変わらずだな」
 当人がいない所で、その『悪癖』に二名は辟易した様子で肩を落とす。もっとも、仮にこの様子を本人が聞いたところで、何ら悪びれないこともわかっているのだが。
「当面、お前の代役はローテで回すよ。……なに、最近は救助依頼の数も減ってきてるし、大丈夫だろ。しっかし、《カスケード》の威光にも陰りが見え始めたかな?」
「威光って。一癖も二癖もある面子揃えといて、尊敬されるようなタマじゃないしなぁ」
「まぁ、な」
 そう言ってヒエンは白い歯を見せる。自分が『一癖も二癖もある』自覚はあるようだ。
「最近は自然災害の数も減少してるし、依頼の数が減るのも当然といえば当然さ。救助隊としては苦しいが、世界としては平和の証だ。歓迎しないとね」
「言ってしまえば世界の混乱に乗じた商売だもんな……そもそも威光なんて言葉は似合わんか」
 最後は納得した様子で頷くヒエンであった。

「ま、それはともかくとして……そっちの様子はどうよ? あの子――アルマちゃんだっけ? 記憶は戻ったのか?」
「いや……」
 一転してパサラの言葉は低調なものへと変わる。
「教えられることは教えた上で色々話は聞いてみたんだが、このあたりの地形に見覚えはないそうだ。ポケモンが喋ったり道具を使ってることへの違和感もないって言うし――」
「持って回った言い方をするなぁ。黄金さんが言ってたこと、気にしてるのか?」
「そりゃ、ね……」
 俯くパサラ。
 黄金の言葉は、つまりはアルマがパサラと同じような存在、元々は人間かもしれないという意味のものだった。
 記憶を失っている点、出自や発見された場所にどうやって現れたのかが不明な点など、細かに挙げれば確かに共通点はある。しかし、おいそれと頷いていいものかわからなかった。
 そもそもパサラは何も漂流者としてこの世界に来たのではない。当人は記憶を失い自覚こそなかったが、一応は『隕石接近による世界の危機を救う』という名目でこの世界に召喚されたのだ。仮にアルマが人間だったとして、パサラと同じように使命を帯びてこの世界に来たのだとすれば、世界に新たな危機が訪れようとしているとも解釈できなくはない。
 パサラの心中が穏やかでないのも当然のことだ。
「ヒエンは、どう思う?」
「どうもこうも――まぁ、あの状況は確かによく似てたよ、『お前の時』と。ただなぁ……」
 そう言うヒエンの視線は、今にも日が沈もうかという水平線へと向けられている。目を刺す茜色も、しかし今の彼の視界にはない。遡った記憶がたどるのは、まだ彼が進化前、ヒトカゲだった頃のことだ。


  目が覚めたか?
  お前、ここで倒れてたんだぜ。俺はヒエン、よろしくな。
  で、お前は? ここらじゃ見ない顔だけど……え? なんでポケモンが喋ってるのかって?
  それに自分は人間だって? …………。でもお前、どこからどう見たってミズゴロウだけど……。


「似てはいるけどな、やっぱり違うんじゃねぇの? お前もそう思ってるんだろ?」
 疑問形を用いつつも、半分確信めいた調子で、ヒエン。
「でも……だ。黄金さんがああいう言い方をした時って、いつも」
「確かに大当たり、ってことが多いけど」
「だろう? それに今は記憶や出自よりも彼女の体調のほうが優先だよ」
 途端にヒエンは、ししし、と笑う。
「まぁな。あの子はなんてぇか……そう、保護欲をかきたてるって言うの? 守ってあげたい! って感じだよなぁ」
「……。知らない」
「この朴念仁が相手じゃどうもならんか。どっちにしろ確かめようもないことをウダウダと言ったって仕方ない。まずは……体力か。んで記憶。あーもう、まどろっこしいな!」
 ワシワシ、と頭の後ろを掻く。何かと面倒見が良くて話も通じるが、なにぶんせっかちな気質だ。
「どうにかしてスパッ、とあの子の記憶を取り戻せればいいんだけどなぁ。やっぱ刺激だよ。そうだ、俺達の救助隊に入隊させて、あちこち連れ回すってのはどうだ? 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、何かの拍子に記憶が戻ってだな、」
 早口にまくし立ててた後、不意に、ヒエンは首をねじ曲げて後方を見やった。
「無茶を――」
 言うな、と続けかけて、パサラも言葉を切る。
 ぴたりと止まったヒエンの視線を追って振り返ったその先に、アルマがいた。


 どうしたことか、と目を丸くするパサラとヒエンの傍に、アルマは予想以上にしっかりとした足取りで歩み寄った。
「アルマ、さん? 具合はいいの? 思っきし外出ちゃってるけど平気なの?」
 ヒエンが心なしか上ずった声で尋ねる。問われたアルマはといえば、一瞬吹いた潮風にきゅっと体を縮めたあと、
「さっきノエルさんが許可出してくれました。自覚なかったんですけど、私、ず〜っと窓の外見てたみたいで。丁度パサラさんが浜辺にいるってことを聞いて、そこなら大丈夫だろうって」
 部屋の中を歩かせてみたら足取りもしっかりしてたし、何よりあんな神妙な表情しながら外見てたからなんかあるのかと思った……とは、後で理由を聞かれた際のノエルの言い分である。そんないい加減でいいのか。
「あの、お話のお邪魔でしたら席を外しますけど……? あ、もちろんお二人の目の届く範囲で」
 遠慮がちに見上げられて、パサラとヒエンはちぎれんばかりに面を横に振った。
 もちろん彼女の気遣いに甘えても良かったのだが、その大きな瞳で見上げられるとどうも放っておけない、と思えてしまう。ヒエンの言葉を借りるなら『保護欲をかきたてる』ということだが。
「大丈夫大丈夫! というか、丁度アルマさんの話をしてたところなんだよー! 奇遇だね!」
「お、おい、ヒエン!」
 慌てるパサラをよそにアルマはぱちくりと瞬きして、
「私の話、ですか?」
「いや、その」
 しどろもどろなパサラを横目に、こりゃぁ……とヒエンの頬が吊り上がる。ずい、とパサラの脇からその長い首を伸ばし、
「いやね、こうして知り合ったのも何かの縁だし、アルマさんさえ良ければ俺達の救助隊に入って一緒に活動してみてはどうかなって。アルマさん今はフリーの立場だし、色々と刺激になるし、それに所属があるってのはその、何かと楽じゃないかと、思うんだ、けど……」
 徐々に口調は弱々しくなり、最後には消え入りそうな声になっていた。
 パサラに脇腹を小突かれてようやく黙ったものの、ぽかんとした表情で見上げるだけのアルマに完全に勢いを殺されてしまった格好だ。
「俺、もうダメ」
 背を向けて浜辺の砂をいじりだす始末である。
「えーと……」
 困惑した表情のアルマに、
「すまん、あいつの言うことは気にしないでくれ」
「はぁ……。でも、私にも出来るものなんですか? 救助隊って」
「気にしてるんじゃないか」
 苦笑が浮かぶ。
「敢えて答えるとするなら、誰でも、歓迎するよ。誰かの助けになりたい気持ちがあるならね。……って、ウチの隊じゃ説得力ないか」
「誰でも……私にも……?」
「でもね、アルマさん」
 パサラは指をひとつ立てる。
「今は思い出せないかもしれないけど、君は君だ。まずはそれを取り戻さないと。自分のことが分かって、それでもその気があるって言うなら、いつでも歓迎するよ。君が誰であっても」
「パサラさん……」
 アルマは何か考えていた様子だったが、それっきり口を開くことはなかった。
 パサラの後ろで砂遊びをしていたヒエンも黙っていたが、その口元にははっきりと笑みが浮かんでいた。


「そういえばラグナ、遅いな」
「言われてみれば」
 ふと思い出した口調で、ヒエンが言う。実際忘れていたのだから、ラグナという隊員の扱いはなかなか酷い。
「さすがにペリッパー口説いちゃいないだろうな?」
「あいつの守備範囲広いからなぁ」
「ど、どんな方なんですか……」
「それは、アルマさんにはちと早い質問かもな――っと、噂をすればみたいだぞ」
 ヒエンがポケモン広場から砂浜へと下る斜面を指した。
 見ると、息を切らせて斜面を駆け下りてくる白い体毛の二足ポケモンの姿があった。体長はパサラとどっこいどっこい。体毛には所々赤く染まった部分があり、全体として受ける白い印象が、一層その鮮やかさを引き立てている。
 ザングースと呼ばれる種族のポケモンで、名はラグナ。《カスケード》では比較的新参の隊員だ。
「た、大変やあああああ!!!」
 血相を変えたその様子に、パサラとヒエンが顔を見合わせる。
「シンクの奴が遠征先でぶっ倒されて運ばれてきよった! 今、広場の入口や!」
 その言葉を聞いて、パサラの眉根がぴくりと吊り上がった。ヒエンもそれに同じ。
「まさか」
「冗談だろ?」
 口にした言葉に反して、パサラとヒエンはラグナが傍まで来るのを待たずに駆け出していた。


 ポケモン広場を夜の薄闇が包み始めている。
 遙か西の孤島で生まれた出会いと戦い、そしてこれから振りかかる新たな騒動を、今は誰も知らないでいた。


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