#00 プロローグ




 闇に包まれた森の中を、複数の影が駆け抜けていく。
 漆黒に溶け込む黒の体毛に覆われた四肢を持つその獣――デルビルの数は、みっつ。
 三体のスピードは一糸乱れぬ均等で、荒れた地面をも苦にしない脚力は小柄な体躯には不釣合い。丁度それぞれを頂点に小さな正三角を描くようにして闇路を駆け、幾分の隙も見せない眼光は、人間のそれでは看破し得ない暗闇の物陰にも目を配る。

 虫も眠る丑三つ時。この三体のデルビルは、何を追っているのだろうか。
 少なくとも、ただ闇雲に地面を蹴っているわけではあるまい。群れの中でしかその意味を解し合えない特殊な鳴き声で以って統率を図る種族だけに、その意味を知る事は難しいが、少なくとも三体の組んだフォーメーションは本格的な狩りのそれだ。

 ひゅっ

 刹那、微かな音が空気を裂いた。まさに不意打ちだった。
 三体の真上と言っても良い位置、生い茂った樹木の中から、一人の人間が猛然と襲い掛かってきた。
 人間は三体のデルビルの内、後方右側に配置した個体を目掛けて降下。直前まで気付かれる事無く背中に飛び乗るや、バランスを崩してよろめき、混乱するその脳天に容赦なくナイフを衝き立てる。
 合金の刀身が頭蓋を砕く乾いた音と、辺りに撒き散らされた匂い。残り二体となったデルビル達が異変に気付いた時には、鮮血を振りまいて悶えるデルビルを後方に、人間は油断の無い構えで彼らと対峙していた。
 二体は直感の動きで身を屈める。一瞬遅れて、今まで彼らの眉間があった場所をナイフが通り抜けて行った。目視不可能なその軌道を避け切っただけでも、この二体のデルビルには拍手喝采の賞賛が与えられても不思議ではない。
 初撃を受けたデルビルが地面に倒れ伏し、完全に動きを止めた。残ったデルビル達の思考には、数秒前まで連帯を組んでいた同胞への向ける情すら最早無い。わずかな躊躇い、戸惑いさえもが命取りとなる事は容易に知れていた。
 デルビル達は己を鼓舞するかのように低く唸り、人間へと肉薄する。
 人間の徒手空拳の間合いに入るかどうか、ギリギリの所まで距離が縮まったその瞬間、デルビル達は前方へ進むベクトルを強引に変更し、左右へと跳んだ。
 異なる軌道で、しかし両者とも目指すものは同じだった。森林に無数に存在する樹木の幹――突進の衝撃を逆に反発力として利用し、さらに三角跳びの要領で跳躍する事で、通常では不可能な高度を得る。
 上下位置の差別化。初撃を頭上から食らった事のお返しと言わんばかりに、一方のデルビルが人間へ炎エネルギーの塊を無数に降り注いだ。
 ワンテンポ遅らせて、もう一方のデルビルが怯んだ人間の懐に突っ込む。首筋に牙を突き立てれば、いかなる強者もただでは済むまい。
 しかし――次の瞬間、デルビル達は自分達の連携が、あるいは地形を利用した目線を留まらせない戦法すらもが、目の前の人間には通用しない事を思い知らされる事となる。

「ふぅッ」

 短めの呼気。
 一瞬、肉薄した方のデルビルの体が痺れた様に空中で硬直した。デルビル自身、何が起こったのか理解出来ていないのだろう。鈍い音を立てて地面に落下するや、丸く見開いた瞳で痙攣するその手足を見やっている。
 人間は動きを止めない。目の前で起こった事態に動揺しているであろうもう一方のデルビル目がけて、腰に装備していた短刀を見事なまでの早抜きで投げつけた。

 ――とっ。

 瞬間、短刀によって顔面に穴を開けているはずのデルビルは溶ける様に虚空へと消えた。突き立てられるはずの短刀は空を切り、その先にある樹の幹へと刺さる。
 騙まし討ち。
 相手の注意を分身によって逸らさせ、隙を付いて確実に攻撃を加える……デルビル種が会得する、上級のフェイント技だ。掻き消えた分身の代わりに、本物のデルビルが、体勢の崩れた少女の背後へと、あらぬ方向から襲い掛かった。
「……ッ!」
 牙を剥くデルビルの瞳が、人間のそれとぶつかった。次の瞬間、
 ゴォッ!
 木々の間に、強烈な閃光の帯が奔った。
 視界を焼くような光をその眼に浴びると同時に、デルビルを、身体中の細胞という細胞が沸騰して泡立つような、異様な感覚が襲った。




 手足を痺れさせ、いつしか気を失っていた最後のデルビルが目を覚ました時、人間は目前へと迫っていた。
 視線を少し右に移した先では、もう一体のデルビルが、焦点の合わない、濁った瞳を空へと向けている。手足を硬直させ、ぴくりとも動かないそれを見て初めて、彼は自身が最後の生き残りである事を認識した。
 立ち上がろうと必死に手足へと信号を送るが、まるで神経が繋がっていないかのように四肢は言う事を聞かなかった。焦燥感が胸を炙る。見上げれば、最初のデルビルから引き抜いたのか、血糊が付いて鈍く光るナイフを逆手に持った人間と目が合った。
 その時になって、彼その人間がまだ若い少女である事に気が付いた。こちらを見下ろしている燃えるような深紅の瞳孔に、冷ややかな意思が宿っていた。
 デルビルの脳に、警告の赤ランプが点灯する。本能が警鐘を鳴らしていた。この人間は、おかしい。化け物だ。関わってはいけない。逃げろ。逃げろ逃げろ逃げろ。
 本能が知らせる緊急ブザーに忠実に、彼の四肢は数分前まで狩る対象であるはずだった相手から、ただただ逃げる選択のみを繰り返し、もがいた。……しかし無情にも、それらが彼の意思に対して動く事は無かった。


 少女が近付いてくる。華奢な体には似つかわしくない、機動性重視のブーツが地面を踏みしめる音はほとんど無く、まるで地面すれすれを浮かぶように進む姿は幽鬼か何かにも見えた。
「――――。」
 少女の唇が上下に動く。吐き出された短い呟きの意味を理解する余裕すら、デルビルには無い。
 ユ、ル、セ。少女の口から漏れたのは、そんな音の陳列だったように思える。


 少女がナイフを振りかぶった。
 丸い月が刀身にその姿を映すのを瞳に捉えるのと同時に、デルビルの意識は一瞬でブラックアウトした。


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