#01 薔薇の女




 ヤマブキシティは、二十階を超える高層ビルの立ち並ぶ、カントー地方随一の主要都市である。
 ヒト、モノ、カネ、そして情報。地方の枠を越えてあらゆる物が集まってくるこの大都市には、数多くの企業がその本社を置いていた。最たる例としては、ポケットモンスターに関するありとあらゆる商品の開発を行う複合企業、シルフカンパニーが挙げられるが、こういった巨大企業が集積する都市中心部から少し離れると、そこには他の街とも変わらない、ごく普通の街並みが広がっている。
 そうした中には、地価の関係や専門的な物資の都合で都市部に軒を構える事の出来ない企業や、それらの下請けで開発を行う研究施設も、いくつか点在している。




 夜中の森林が、映像ウィンドウごと縮小され、モニターの隅へと移動した。代わりに黒のボディスーツを身に纏った少女の姿がモニターの中央に表示される。三体のデルビルを事もなげに屠った、あの少女だ。

「状況完了、シミュレータ実験を終了する。各員計測データを回せ。CCTは身体チェックも怠るな」

 硬質な、白塗りの壁に覆われた部屋。
 そこは、照明を落とされた薄暗い研究室だった。壁の一面の面積を丸々使う巨大なスクリーンのに対して鶴翼を成す形で、いくつもの操作卓、そしてそれに向かい合った研究員達が並んでいる。
 中央、一段高い位置に設置された椅子に座っていた男性が言葉と共に立ち上がると、スクリーンの電源が静かに落とされた。コンソールのパネルだけが光源だった部屋に照明が灯され、静まり返っていた空間が一転して慌しく動き始める。時には怒号も混じる中、そこかしこで交わされる専門用語の数々は、教養の無い大概の人間には理解する事も出来ないだろう。
「やれやれ……」
 男性は周囲に気取られないように鼻腔を膨らませ、安堵の息を吐くと、もと居た椅子へ腰を下ろした。

「お疲れ様です。サエグサ所長」
 間髪入れずに名を呼ばれ、男――サエグサは、緩んだ表情を反射的に引き締めた。
 ヒールの底が床を叩くコツコツという音が近付いてくる。彼の傍まで歩み寄った気配の主は、腰まで伸びた黒髪を持つ、美しい女性だった。
 整った顔立ちと薄めのメイク、細身に纏った上下共に黒地のシャツとパンツ姿は黒猫を連想させる。その姿はしかし、そういった事には無頓着な傾向のある研究所の人間の中にあって、逆に小奇麗過ぎて、似つかわしくなくも感じられた。
 目線でぎこちなく会釈をするサエグサに、女性は、微笑みが口元に落とす影をわずかに濃くしてみせる。
「ご期待には、沿えていましたか?」
 声が硬くならないように注意を払いつつ、サエグサは相手の顔を仰いだ。初めて会う相手ではないが、毎回同じようにして引きつる顔を宥めている気がする。
「そう、ご緊張なさらずに」
 ローズと呼ばれたその女性は、薄紅色の唇を僅かに吊り上げてみせる。
 どうやらお見通しのようだ。
「失礼。そのつもりではいるのですがね。大事なスポンサーですので」
「ただの視察なのですから。それに、言葉を選んでいては伝わるものも伝わりませんわ」
「……私は、演技が出来るほど器用な人間ではありませんよ」
 サエグサは椅子の手すりを握る掌が、徐々に汗ばんできているのを感じていた。


 サエグサの研究所は、その研究活動の多くを資本家からの出資を元に行っていた。
 いくつかある出資者の中で、最も額が大きいのが、彼女――ローズを派遣した企業だ。
 ロケット・コーポレーションを名乗るこの財閥企業は、ヤマブキシティを中心として、様々な企業、または研究機関へ投資活動を展開している。かのシルフ・カンパニーにも多額の投資を行っているという話だが、他の追随を許さない額の援助の裏で、強引な企業形態の改革指示や不正な物資の調達など、黒い噂が絶えないのも事実だった。その企業が派遣してきた女性、ローズ。


「仮想空間でのシミュレータ……さらには戦闘行動にも良く対応しているようですね」
「調整に時間が掛かり、回数は多くありませんが。しかし、彼女の状況判断能力はご覧いただいた通り」
「ええ、認めましょう」
 二人が見ていたスクリーン上の映像は、すべてリアルタイムで出力されたコンピュータ画像である。森も空や、そこに吹く風や降り注ぐ月の光、見事な戦闘を繰り広げた少女と三体のデルビルまでもが、実体の無いCGに過ぎない。そしてデルビル達を操っていたのは、研究所で用意した高性能のAIだ。
 ただし彼女――あの幼さの残る体に恐るべき力を秘めた少女を操っていたのは、紛れも無く彼女自身でなのである。指の間接を曲げるような微細な脳の電気信号に対してまったく同様の反応を示し、また負った傷やそれに伴う痛覚なども忠実に再現するシステムであれば、AIの代わりに本物の脳を代用する事も可能となる。
「それでも、似せただけのプログラムが相手の戦闘では、あれの身体性能を正確に測る事は難しいのではないかと感じますが?」
 ローズはきっぱりと告げた。
 開発者に対しては挑戦的とも取れるその台詞に、一瞬、研究員達の喧騒が水を打ったように静まり返ったが、ローズの口元に薄く落ちた影は、絶やされる事は無い。
 サエグサも周囲の雰囲気の変化に気が付いているのだろうが、務めて反論しようとはしなかった。
「まぁ、そうでしょうね。……ご覧ください」
 手元のコンソールを操作し、次々に送られてくるデータの内のひとつを表示させる。
 文字とグラフで構成された情報の羅列。一般人には分かりにくい内容だ。読み方を説明しようかとサエグサが迷っている内に、ローズはサッとディスプレイに目を通すや、溜め息のような呟きを漏らした。
「素晴らしいですわね」
 それが彼女の正直な感想だったのかどうかは、一概には判断しかねた。
 しかし、自分なりの見解を導き出せるだけの知識は持ち合わせているようだ。現に、彼女が次に発した言葉は、サエグサの言わんとする事をよく汲み取っていた。
「過去の訓練から、回数をこなす度に成績が上昇している。反撃は許していますが、まぁ、当たらなければ意味がありませんわ。熟練度、判断ルーチンの自己改良精度も良いようです。これが――」
「これが生きた標的を相手にした実戦ならどうなるのか、でしょう?」
 言葉を遮られて憤るでもなく、ローズは肯定の意を、沈黙を以って返した。
「生々しい実戦の空気に当てられてもなお、これと同じ成績を維持できるか。開発者として興味はありますよ」
「実地訓練を行う予定は無いのですか?」
 実地……つまりは、実際の森や山を試験場とし、訓練をするという事だ。
 クサカベは苦笑を浮かべて、首を横に振ってみせる。
「目処が立ちません。適した場所も――そもそも、倒す相手がいない。本物のポケモンを的にしてしまっては、ただの殺戮行為ででしょう? 何かあって公になれば面倒も起こる」
「……。なるほど」
 ローズは口元に手を当てて小さく唸った後、納得したように頷いた。
 それまでと変わらない、張り付いたような薄い微笑み。しかしサエグサはこの時、その表情に、どこか恍惚とした雰囲気を見た気がした。それを俗っぽい言葉で表現するとすれば――。
「残りのサンプルデータは、帰ってからゆっくり吟味させていただきますわ。今日は皆さんの頑張っている姿が見れただけでも十分です。被検体の彼女との面会は……また今度いう事で」
 手に抱えた記録ボードをぽんと叩き、ローズはサエグサに背を向けた。慌てて椅子を立って後を追おうとした彼を後ろ手で制し、研究室の入り口に待機させていた自身の助手を呼び寄せる。一言二言、助手との間で言葉を交わしている内に、過去の実験データを纏めたディスクが出来上がったのか、研究員の一人が梱包された大判の封筒を手渡しに行った。
 受け取った封筒を胸に抱え、恭しく頭を下げるローズ。こうして見ていれば、その風貌は小奇麗で魅力的であり、男性受けも良いのだろうと思える。しかし、彼女を言葉を交わしていくにつれて、その本性と言うか、普段表に出さない部分が見えてくる。それは、つい先ほどの会話の中にも感じ取れるものだった。
 実地訓練の話題の折、彼女は意外なほど素直にサエグサの意見を飲み込んだ。過去に数度あった視察でも、ああいった表情を見せた後は、次の視察までに相当無茶な要求を叩き付けて来たりするものだった。
 今回はその様子も無い。サエグサは嵐の前の静けさという言葉を思い出していた。

「ではサエグサ所長。またの機会まで、ごきげんよう」
「あ、ああ……こちらこそ」
 にっこりと笑って見せ、ローズは研究室から姿を消した。
 それを見送り、半分立ち上がった姿勢で硬直していたサエグサは、結局実験終了の時から今まで張りっぱなしだった緊張の糸をようやくほぐす事が出来た。同時に猛烈な眠気に襲われる。半ば意識的に忘れていたが、実験のスケジュールもあって彼は二徹明けなのである。
 コンソール下の引き戸を開けると、心地良い冷気の溢れるクーラーボックスの中に、キンキンに冷えた栄養ドリンクがぎっしりと詰まっていた。一本を摘み上げて慣れた手つきで栓を開け、一気に飲み干す。
「まったく、貧乏人ってのは苦労が多いもんだ」
 口元を拭い、立ち上がる。彼には実験の後、必ずしている事があった。これは義務と言っても良いと彼自身は思っている。こなす事で、徹夜の疲れも吹っ飛ぶ魔法の行事だ。
「ローズ女史に預けたのと同じ物を、私の自室にも届けておいてくれ。後は任せる」
 特定の誰かではなく、室内の研究員全員に聞こえるように言う。あいよー、とか、ういーす、という気の無い返事にも一切咎める事無く、サエグサはまだどこか頼りない足取りで部屋を後にした。


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