#02 ひとときを、今




 機械等の媒体を介さず、直接脳裏に投射される男性――サエグサの聞き知った声と共に、まずは肌を撫でていた風の感触が無くなっていく。
 手足の先がが何に触れていて、何を掴んでいるのかさえ分からなくなると、続いて視界がゆっくりと暗転していく。
 まるで身体中から神経が切り捨てられていくかのようなその感覚を、彼女はいつになっても好きになれないでいる。

 最後に残るのは、いつも聴覚だ。
 木々の揺らめく音。昆虫が発する鳴き声。縄張りを駆け回る夜行性ポケモンの雄叫び。

 トク、トク、トク――。

 そしてそれらをすべて塗り潰す、自身の胸の鼓動。
 微かな音だけ残して他のすべてがブラック・アウトしてしまうと、同時に少女は言い知れない不安に苛まれた。
 自分を残して、世界そのものが消えうせてしまうような感覚。胸を焼くような焦燥だった。
 魂が本来の器へと還るまでの間、少女は身を裂く孤独感と闘い続ける。


◆ ◆ ◆


「ン……」
 眼を開けようとした少女は、ふと違和感を覚えて、その動きを止めた。
 開きかけた瞼の周りが、しっとりと濡れていた。無数のプラグが差し込まれ、自由の利かない実験用スーツに包まれた腕を無理矢理動かし、ごしごしと手の甲でそれを擦る。二度寝明けのようなぼんやりとした倦怠感の中にあって、心地の悪い夢を見た後にも近い疲労感が肩に圧し掛かるように重い。
 ―― 酷く気分が悪かった。

  ガシュン。

 機械が駆動を終えた音が重たく響き、同時に狭く暗い空間に、白い照明の光が差し込んでくる。
 少女は仮想空間シミュレータの実験に用いられる計測用カプセルの中にその肢体を横たえていた。ネガティブな気持ちがそう思わせるのか、窮屈なその場所から一刻も早く離れたくて、少女は湾曲したカプセルの天井に両手を添えた。強く押そうとすると、まるでタイミングを計ったかのように、カプセルの外側からそれは開かれた。
「わ」
 思わず声が漏れた。両手を突き出して上体だけつんのめった格好の悪い姿勢を立て直す間もなく、
「あら、タイミングばっちり」
 明るい女性の声が降ってきた。図らずもお互いの視線がぶつかって、少女はあからさまに『しまった』という顔をした。


◆ ◆ ◆


 開発コード《SELENA》、型式番号GMC-002。
 彼女――サレナは、サエグサが責任指揮を取る戦闘用バイオボディ開発プロジェクトのコンセプトに基づいて生み出された試験管ベビーである。単独での運用を想定され、より高い戦闘力と判断力を持つ『兵士』としての質を求められたため、彼女の遺伝子には発生段階から手が加えられ、身体・感覚神経だけに限らず、従来の人間には無い、様々な能力が付加されている。
 研究の過程で、彼女の他にも同じ目的で『造られた』命はあった。しかし、その中でも拒絶を起こさずに特殊培養液外での活動に耐えうる性能を手にしたのはサレナだけであり、他の個体は肉体保持のため、試験管から出る事も、日の光を浴びる事も許されてはいない。彼女はそういう意味でもスペシャルな存在だ。

「お疲れ様、サレナちゃん」
「―― うん」
「サレナぁ、調子はどうだ?」
「―― 普通」
「サレナ! あとで私の部屋でイイコトしない? イ・イ・コ・ト!」
「―― また今度」

 足を前に進めるたびに声を掛けてくる研究員達に、短く応じてはすぐにまた前を向く。
 この部屋――シミュレータの実機と計測器が置かれている――に出入りしている研究員の多くは、メカニックを担当する技術屋、あるいは被験体となるサレナの身体データの採取及び、そのコンディションの維持を担当するスタッフだ。
 その実働期間は個々人によってまちまちだが、多い者ではサレナが培養液外での活動を開始するよりも前から、この研究所に勤務している。実験室としてこの部屋を使用する事の多いサレナにとっては、気心の知れた相手が多いと言える。
 ……しかしながら。

「サレナちゃん、今日はご機嫌斜め?」
 今も、すぐ隣を歩く白衣の女性が、少女の冴えない顔色を伺うようにして尋ねる。
 女性は名をマイといった。普段はサレナのコンディションチェックを担当しており、直に接する機会も多いので、サレナにとっては研究室で一番近しい存在である。先刻カプセルを開けたのも彼女だ。
「別に、なにもない」
「うーん、そうかなぁ」
 素っ気無く答えるサレナに、マイも困り顔だ。
 十台の半ばに至るかどうかという容姿のサレナと、生まれてから四半世紀程度のマイの組み合わせは、傍から見れば歳の離れた姉と妹のような印象も受ける。しかし、会話の中身はその限りではないようで、試験カプセルの中での出来事を億尾にも出さないサレナの反応は、コンディションチェック担当として厄介な事この上ないだろう。
「シミュレータって言っても、戦闘実験はヤな感じだよね。辛かったら、すぐ言ってね?」
「……。うん」
 かくん、と頭を縦に振る。
 触れただけで折れてしまいそうな華奢な身体つき。この成りで、いざ戦闘となれば専用に調整された敵対者を自在に翻弄し、倒してみせるのだから、マイは時に奇妙な感慨に陥る時がある。
 サレナのしなやかな筋肉質の身体は苛烈な特訓の賜物でこそあれ、元々耐久性と柔軟性に優れた物に成長するように『調整』されている。そうでもなければ、まだ幼さの見え隠れする少女に、戦闘用の兵士など役不足だろう。この身体年齢で実戦に投入される事は開発計画の前提条件だ。
「実験も上手く行ったし、所長に頼んでどこかに美味しいものでも食べに行きましょ。研究所の近所に新しくパスタ屋さんが出来てね、私も行きたかったんだ。どう?」
 身相応――サレナには縁の無い言葉だ。同じ年頃の女の子なら、友達と一緒に出掛けて遊んで、笑い合って。勉学に励む者もいれば、ポケモントレーナーの修行に出ているかもしれない。
 研究所で生まれ、研究所で育ったサレナには同年齢の知り合いが一人もいなかった。生まれた経緯もあって人見知りの激しい気質の彼女にしてみれば、外の世界での生活など雲の上の出来事だろう。それだけに、マイは率先してサレナを研究所の外に連れ出していた。
 コンディションチェックとは言っても、やっている事はほとんど身の回りの世話と言って大差無い。それなら一番の友達になって、色んな事を教えてあげようというのがマイの考えである。

 しかし、サレナは頷いた首はそのままに目をわずかに伏せ、
「反撃を許した。サエグサはきっと怒る」
 吐き捨てるように、そして自身を責めるような口調で呟いた。
 シミュレータ実験の終盤、デルビルへ投擲された短刀は、相手のフェイント技によって回避された。その後すぐに決着はついたものの、本当ならフェイントを仕掛ける暇を与えるまでもなく戦闘は終わっていた。
 戦いに知識の無い人間が見れば、状況を把握するだけで精々だろう。コンマ単位の判断力が試される世界に生きるサレナにとっては、その一瞬の分岐を誤っただけでも死活問題なのだ。
 サエグサもそれに気付いているはずだった。
「だから、外出なんて許してもらえない」
「……うーん、そうかな」
「そう」
 短く言葉を返すサレナを横目に、マイはふと足を止める。振り返ったサレナの瞳とマイの視線がぶつかって、
「でもね、所長最近よく言ってるよ。『白髪が増えてきた』って」
「……? よく、意味が分からない」
「所長はね、サレナちゃんがシミュレータ機の中に入るたびに不安で不安で仕方がないんだよ。いっつも実験が終わったらすぐに飛んでくるでしょ? サレナちゃんが無事にマシンの中から出てくるだけで、所長は凄く嬉しいんだと思う」


「みんな、お疲れさーん」
 間延びした声が、しかし逆に、研究室全体を静まり返らせた。
 その様子に一瞬怯んだサエグサだったが、どうしたどうした、と声を張り上げ、
「データ提出遅れんじゃないぞぉ! こういう時が指先だけが器用な人間の力の見せ時だろうが!」
 その言葉に我を取り戻したかのように、研究員達は再び慌しく動き始める。それを見届けてから、サエグサはにやりと口元に笑みを浮かべ、空になった小さなドリンク瓶を肩に担いでのっしのっしと室内を闊歩する。
 すれ違う研究員と他愛も無い会話を交わし、モニタに向かう者の手元を覗き込んだりして、サエグサは次第に、しかし確実にサレナとマイの下へと近付いてくる。
 最初から自分達の所へ来るのが目的だとは分かっているだけに、マイはその様子が可笑しくて堪らない。
「ほらね? 言った通りでしょ?」
 薄い笑みと共にサレナにウィンクしてみせると、どうコメントしてよいのか、と言った表情になる。
「おいそこ、なんな文句あんのか」
 じとりとした視線で見られて、マイはようやく顔に浮かんだ笑みを消した。いえ、と小さく咳払いをする。
「まったく。どいつもこいつも私をナメてるんじゃないか? 俺は所長だぞ所長。何で顔見ただけで笑われにゃならんのだ」
 フケだらけの――言い加えれば白髪交じりの――髪を掻きながら、サエグサは憮然とした様子で悪態をつく。台詞の前半と後半で口調が変わっている事に、自分では気付いていない。
 ちら、とスーツ姿の少女を一瞥し、
「調子はどうだ?」
「はい、客観的には、特に異常があるようには見えません。もっとも、シミュレータ空間内での身体への損傷は現実へは反映されませんが。メンタル面は……まぁ、本人に聞くのが一番かと」
「おいおい、頼りないな。……じゃあサレナ」
 むっつりと黙っていたサレナが、指名を受けてやおら口を開く。
「これと言って身体に異常は無い。概ね良好」
「そっか。そいつは良かった」
 淡々とした自己報告に、サエグサは納得した様子で首肯する。
「知ってましたけど、随分とアバウトですね……」
 一言も二言も余計だ、とサエグサは素早く切り返したが、サレナの黒髪を骨ばった手でわしゃわしゃと撫でて、
「本当に大変な状態なら人に気取られるまでもなく、自分から言うさ。そうだろう、サレナ?」
「そう」
 少女は顎を小さく引く。今度はマイがコメントに困る顔をする番だ。
「戦闘の進行のついては? お前の言葉で評価してみろ」
 サレナはしばらくの思考の後、
「終盤に油断があった。あそこで『技』を使う必要性は無かったと感じる」
「戦闘は、緊張しなかったか?」
「……。別に」
 本心とも虚勢とも見分けの付かない、仮面のような無表情。
「そいつは結構」
 伸び放題の不精髭を触りながら、サエグサは口元を歪めて小さく笑みを浮かべる。
「ローズ女史も褒めてたぞ、いい動きしてるとさ」
 その名に、マイは驚いた様子で、
「ローズさん、来てるんですか? 今日は姿を見てませんけど……」
「視察だけだとさ。ついさっき引き上げて行った」
「そうだったんですか……はぁ」
 あからさまにほっとした表情になる。言葉を交わす事は少なくとも、ローズという女性の醸し出す扱いにくい感覚は同姓に対しても変らないのだろうか。
 一方のサレナは、堂に入ったものだ。
「……あの女は苦手だ」
 嫌悪感こそ表にはしないものの、およそポジティブでないサレナの物言い。
「まぁそう言うなって。大事なスポンサーさんだぞ? 彼女らのお陰で、この設備だって使えてるんだし」
「方針を変えられても、ですけどね」

 サエグサの研究所は、ロケット・コーポレーションが行っている投資を研究資金として使用している。
 しかし、遺伝子改造による戦闘用バイオボディの開発、というプロジェクトの指針は、そもそもサエグサが目指していた研究の目的とは大きく異なっていた。資金難に悩んでいた彼に援助を申し出たロケット・コーポレーションが、その条件として方針の変更を『強く要望』してきたのだ。
 結果として、サレナは戦闘用として生まれた。その現実は変りようもない。ただ、サエグサがその事に対して不満を抱いているという噂は、研究スタッフの間では有名な噂だだった。

「その話は、また今度だ」
 何ともいえない表情で、サエグサは会話を打ち切った。
 失言だったとマイが目線で謝るとサエグサもそれに気付いた様子で、小さく肩をすくめて見せる。
「まぁともかくだ。調子は良いと言っても疲れたろう。明日はオフにするから、ゆっくり休め」
 え、と声を上げる所まで一様に、サレナとマイが目を丸くすると、
「たまにはこういうのも必要だろう。そう、この間近所に出来たパスタ屋、美味かったから二人で行ってきたら――」
 言葉が終わるまでも無く、マイは歓声を上げてサレナに飛びついていた。
 周囲のスタッフが何事かと訝るのを目で制し、どんな服を着るかと気の早い会話を一方的に振るマイと、相変わらず短い返事を面倒くさげに返すサレナのやりとりを眺めながら、サエグサは静かに笑みを浮かべた。
「じゃ、俺も仕事に戻るかな」
 片手を上げ、その場を去る。
 サレナはマイと、休暇話を聞きつけた取り巻きの妄想コスプレ談義を耳から耳へと流し聞きながら、歩み去る男の背中を見やった。

 ―― 俺もお前も、怖いよな。

 囁くような独り言は、辺りを駆け回るスタッフたちの喧騒に散らされて、サレナの耳へとは届かなかった。


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