#03 その名は、ロケット団




 狭苦しい部屋だった。

 そもそも部屋には窓が存在せず、密室が産み出す圧迫感もあるが、それ以上に部屋の中を黒服の集団が埋め尽くしているという事がその印象を助長している。
 集団は大半が男性であり、服装と同じ色の帽子を目深に被っているためその表情は読み取りづらい。
 毅然とした様子で胸を張る彼らの服には、一様にして、あるシンボルが施されていた。

 真紅のRだ。


 黒服の集団の前には向かい合う格好で重々しい印象を受ける金属製の執務デスクが置かれ、肘を突き、指を組んだ格好で一人の男性が座っている。
 これも黒地のスーツ姿。年は中年層に属するであろう、大柄というよりはどっしりとした印象の男性だ。
「首領、ローズが戻ったようです」
「呼べ」
 低く太い、腹の底に響くような声だった。首領――ボス――と呼ばれたその男は、指先を解くと、ゆっくりとした動きでチェアにもたれかかる。呼び名に相応しいほどの外見や、装飾品の類は身につけていない。
 しかし、整然と立ち並ぶ黒の集団を悠然と睥睨するその瞳に宿っているのは、黒い色の炎。
 それは野望の炎だ。

 ややあって部屋の扉が開かれ、間もなく一人の女性が姿を見せた。ローズだ。
 サエグサの研究所で着ていた白衣は脱がれ、代わりに胸元の開いた黒地の上着を羽織っている。右の胸には、口紅のそれと同じ、真っ赤なRの刺繍が縫い付けられていた。
 集中する視線をぐるりと見回してにこりと笑顔を返し、彼女が歩を進めると、黒服の集団は自然と道を作った。何処までも絵になる、すらりとした脚線美。黒服の中には目のやり所に困って明後日の方向を向く者もいる。
 ローズは執務デスクの前まで歩むと、慇懃な仕草で礼をした。
「サカキ様、ただいま戻りましたわ」
「遅かったな、お前で最後だ」
 責めるでもなく、ただ事実を告げるといった口調の男性――サカキ。
 口元に浮かんだ微笑が意味するのは親愛の念か、あるいは卑下か。鉄仮面を気取るにしてはその表情は豊かであるが、その下に秘めた部分は一向に見えてこない。首領と言う肩書きに相応しいだけの度量があるという事か。
「それには謝罪を。視察した施設がどれも興味深かったもので、つい長居してしまいました」
「フン」
 渋みのある笑みが広がった。
「まぁ理由はどうでもいい。……使えそうか、貴様の担当区画の連中は」
 こちらを、とローズは手に持っていたファイルを手渡す。
 指先を舐めたサカキが紙面をめくると同時に、ローズは頬に指先を這わせ、わざとらしく眉を寄せた。
「まぁ結論から言うと――要求が少し急過ぎたかもしれませんわね」
「二日後の決定に変更は無い。間に合うか?」
 一瞬ローズを見上げたサカキの瞳が、ギラリと底光りする。
「作戦後に時間が無い事はないが、アテには出来ん。こちらの要求に喰らいついてこれないのなら切り捨ても考える」
 ゆっくりとした、しかし断とした口調。
「心配には及びませんわ」
 艶やかな唇が妖しい笑みに歪む。
「これはあくまでも篩い掛け。我々の理想に適う技術を、才能を見つけ出すためのテスト。それに見合わぬ者たちは、それこそ最初から必要などありません」
「では我々の……いや、『私の』理想に見合うと、お前が判断したのは?」
「こちらです」
 言うと、ローズはもう一冊のファイルを取り出した。こちらはさほど枚数も多くない。今までのは前座と言う事か。
「……ほう」
 しばらく書面に目を落としていたサカキが、不明瞭ではあったが感嘆の声を上げる。
 数種の計測図と画像が組み合わされた書類だ。見出しには『サエグサ遺伝子研究所』とあり、仏頂面のサエグサの顔写真と共に添えられているのは、これまた冴えない表情で口をへの字に曲げた少女――サレナの全身写真だった。
「戦闘用バイオボディ……すでに人工のポケモンも産み出されている時代だ、こういった発想が生まれてくるのも無理はないのかもしれんな」
「現時点での、彼らの挙げた成果は驚くほどではありません。……まぁ、まったく性質の異なるポケモンの遺伝子を拒絶反応無く人体に適応させているのですから、一般論で言えばこの時点で快挙なのですが」
「実戦で使えるレベルなのか?」
「そこまでは至っていないようです。しかし、今後の教育次第では彼女も化けるかもしれません。それ以上に、この技術を他の報告書にある実験結果と併用すれば……」
「人は、ついに禁忌を犯すか」
「サカキ様なら、神にもなれましょう」
 邪悪な歓喜の中で、ローズは言った。
「私達は、――私は、どこまでもお供いたします」
「……そうか。そうだな」
 誰にともなく、サカキは静かに呟いた。
 瞑目したその瞼の奥に、男は何を見るのか。
 誰にも知られる事もない地下深くで、誰にも気付かれる事も無く、何かが始まろうとしていた。
 後に『ヤマブキ一ヶ月戦争』と呼ばれ、語り継がれていく大事件の、幕開けは近い。

 ―― 時が満ちていく。

 
◆ ◆ ◆


 二日後、夕暮れ時。
 街並みがオレンジ色に染まり、人々は足元に長い影を横たえ、見え隠れする夜の気配を感じだす時間。安らぎを前に、弛緩し始めた気持ちを新たにして、今日一日の生活を最後まで歩み切るため、ここが踏ん張り所だ。
 ヤマブキシティの都市部から少し離れた場所でパスタの店を営むケイトも、そんな事を考えながら今日一日で一番忙しい時間を過ごしていた。

「ぺペロンチーノひとつ!」
「こっちは生ハム添えクリームソースで」
「店員さんこっちもお願い!」
「お水下さーい」
「は、はいはいはいはーい! 今行きます!」

 都市部から離れているとはいえ、ここは天下の大都市・ヤマブキシティ。それだけに客は多いのも事実だが、ケイトがひとりで切り盛りしているこの店の評判は、店主本人の自覚よりも確実に高い。
 若い女店主というだけでも話題に上がるのに、出てくる料理もなかなか、オマケに店主は美人。客層を見れば、仕事帰りに立ち寄る男性客の数が意外に多かったりする。評判が評判を生み、界隈に構えたオフィスで仕事をする人間達の間では、この店はちょっとしたブームだ。
 その客足が、日没が近くなる時間帯から一気に増え始める。
「ひー、嬉しいけど大変だわこりゃ」
 ケイトはパスタの茹で上がり時間を気にしながら、店内を見渡した。席の大半が埋まり、どのテーブルにも料理が行き届きつつある。今茹でている分を通せば、次の注文まではしばしの休憩。作り置きはしない主義だ。
「そろそろアルバイト募集しようかしら。賃金の捻出は……まぁ、なんとかするとして」
 乾いた笑いが漏れる。
 正直、ここまで上手く行くとは思っていなかった。故郷に残してきた両親には猛反対されたが、より多くの人の中で評価される事を求めてこのカントーへと身一つで出向いてきたのだ。最初は知り合いもおらず、心細い事この上無い日々だった。経営の勝手も分からず、宣伝の仕方も知らない中では、お客が持ち帰る感想こそが一番のコマーシャルになると思い、ただ美味しい料理を出す事と愛想良い対応を心がけてきた。成果が出始めたのはここひと月ほど前から。
「パパ、ママ。ケイトは頑張ってますよ。この大都会で必死に生きてますよ」
 故郷の田舎町を思い起こして、ケイトは誰も見ていないのに芝居がかった仕草で目じりを拭う。
「うっし、今日の仕事ももうちょっと! 気ィ引き締めていくわ!」
 拭った涙は何処へやら、ぱちんと頬を叩いて、ケイトは意気込む。客当たりの良い、ちゃきちゃきとした元気な性格も成功の要因のひとつだ。

  からりん。

 店の玄関扉に付けられた鈴が鳴るのと、パスタの茹で上がりタイマーが鳴ったのはほぼ同時だった。
 知った顔だといいなぁ、と思って振り返ったケイトは、入店した客を一目見て、むむ、と目を瞠る。

 二人連れの女性客だった。
 見た目だけで判断するに、年齢に少し差があり、姉妹のように見える。姉と見える方が相当な量の荷物を手に下げ、片や妹も両手を塞ぐ程度には大荷物だ。荷物の件もさる事ながら、ケイトの目に留まったのは忙しく店内を見回す姉に対して、俯き気味に疲れた視線を床に落とす妹の方だ。
 これがなかなか、
「かーわいいじゃない」
 にっ、と頬を持ち上げ、ケイトは茹で上がったパスタを捌く。これを盛り付けてお客に通した頃には、今来た姉妹も注文が決まっている事だろう。ソースを混ぜる手もうきうきと軽い。
 皿に盛り付けが完了した所で厨房から顔を覗かせると、例の姉妹はまだ荷物の置き所に困っている様子だった。今日は世間的に休日でもないのに、どこであんなに買い物してきたのだろうか。
「あの、荷物の方、良かったらお預かりしときますけど?」
 お客周りを済ませたケイトが声を掛けると、椅子をすべて埋め尽くした荷物を前にして、途方に暮れていた姉が縋るような表情を向けてきた。曰く、
「す、すみません。ちょっと張り切り過ぎちゃって……お願いしてもいいですか?」
「どうぞどうぞ。レジの奥にでも置いちゃいましょう」
 言いながら、ケイトの視線は妹の方に向けられていた。黒髪に不思議な赤い色の瞳。余所行きの衣装がよく似合っている。ケイトだけでも見映えするのに、ここにきて周囲の客から熱い視線が注れている事を、彼女達は気付いていない。
「じゃあお言葉に甘えて……サレナちゃん、こっち」
「わかった」
「? サレナ『ちゃん』?」
 妹、もといサレナと呼ばれた少女は、疲れた表情とは裏腹に軽々と荷物を持ち上げると、示された方向へと歩いていく。
「……あの、てっきりご姉妹かと思いました」
「え、そう……見えますか?」
 少女の後ろ姿を見ながらケイトが囁くと、女性は双眸を丸くしてみせる。
 姉妹ならちゃん付けでは呼ばない――事も無いか。しかし女性の反応を見る限りアタリのようだ。
「いや、歳の離れた女の子の組み合わせがそう見えるだけかも。サレナちゃんか。可愛い名前ですね」
 ありがとうございます、と言って女性は笑顔を作った。
 姉妹でもない、たとえ友達だったとしても、大袈裟ではないかと思えるほど嬉しそうに。


「あたし、ケイトです。一応この店のオーナーなんで、今後ともご贔屓に。ご注文の品、以上ですね」
 注文された料理を通しにテーブルまで来たケイトは、自己紹介しておく事にした。普通はここまでしないのだが、サレナ達この二人に関しては、不思議とそんな気持ちになっていた。
「ありがとう。私はマイと言います。この店すごく美味しいって噂を聞いて、前からずっと来ようと思ってたんですよ」
「ほ、本当?」
 お盆を持つケイトの手に、きゅっと力が込もる。
「そういう噂を聞くのが一番嬉しいな。で、さっきは挨拶しそびれちゃったけど……サレナちゃん?」
 見るに、当のサレナは目の前に出されたパスタに視線を落とし、小さな鼻をぴくぴくとさせていた。
 自信作のカルボナーラ。注文を聞きに来たケイトを前にしてなお、随分と迷った末に選んだ品だ。どうやらサレナ自身、カルボナーラがどんな物か知らなかったようである。
「いいにおい」
「ありがと」
 短いやりとりだが、ケイトの浮かべる屈託の無い笑みは本物だ。
「えっと、ひとつ聞いていいかな、二人はどういう関係? 母と子供かと言えば、マイさんそんな歳には見えないし」
「えっ……?」
「あ、ごめん。難しい事なら無理に話さなくても」
 ケイトは慌てて被りを振る。ポケモントレーナーという冒険職が一般的な世の中にあっては、男手の流出による家庭の崩壊が問題として取り沙汰される事も多い。この手の話題自体がタブーというケースもままある。
 だがマイは、そうじゃなくて、と言いよどんだ言葉を繋いだ。
「どう言ったらいいか分からなくて。友達、仲間、……本当、どう言ったらいいのかしら」
 本気で悩んでいるようだ。助けを請うようにサレナへと視線が移される。ケイトがそれを追うと、当のサレナは逆手に持ったフォークの先端をこわごわと凝視していた。根本的に使い方が分かっていないらしい。
「……ま、まぁ。今は料理を食べてよ。面倒くさい事は美味しいもの食べて忘れましょ」
「自信あるんだ?」
「後悔は不満が出てからする主義なだけよ」
 言ってから、少し頬が上気するのを感じた。背の丈に合わない事を言ってしまった、と反省。噂が評判となるこの業界では、過信や、下手な口を利いたという情報さえもが悪評となり得る。まさに壁が耳という訳だ。しかしマイとサレナ、この二人との会話が自然と口を滑らかにさせているのも確か。
 もう少し話したい事もあるが、今日はこの辺にしておこう。
「さて。あたしは食事の邪魔しても悪いし、厨房に戻るわ。また後で感想聞かせてよ」
「そ、そうね、また後で。大した事は言えないと思うけど」
「いいのいいの」
 少し寂しげな表情を浮かべるマイに、ケイトはにっこりと笑ってみせる。
 そう、いつだっていいのだ。今日限りの付き合いにはならない、そんな確信に近い予感がケイトにはあった。
 突っ込んだ話は、もっと回数を重ねてからでもいいだろう。

「おい、何だあれ――」
 上機嫌で厨房に入ろうとしたケイトは、お客のそんな言葉にふと我に返った。
 彼らの視線の先には、店内に備え付けたテレビのモニタがある。会話のネタになればとワイドショー番組に絞って表示させているそれが、この時はどういうわけか、画面を灰色の砂嵐に塗り潰していた。
 故障? ケイトがそう思った次の瞬間、砂嵐はプツリと止み、画面に一人の男の姿が映し出された。
 左の胸には赤いRの文字が縫われた、黒いスーツ姿の男性だ。
『全国の皆さん、我々はロケット・コーポレーションです』
 まるで明日の天気予報を始めるような調子で、男は言葉を切り出した。
 どよ、と店内がざわつく。
『私はロケット・コーポレーションの総帥、サカキ。ロケット・コーポレーションは、私の指示の下、これまで各業界を牽引していくであろう企業に、影から投資活動を行ってきました』
 自信に満ちた口調。口元に薄く笑みを浮かべ、真っ直ぐにカメラを向く男の言葉に、いつしかケイトの店に居合わせた客全員が耳を傾けていた。
 当然、マイとサレナも。
『我々の出資は各界に深く根付いています。今やこの国を裏から支えているのは、我々ロケット・コーポレーションと言っても過言ではありません。その事を踏まえた上で、私は今、ロケット・コーポレーション総帥の名の下に組織の名をロケット団と改め、反国家テロ組織としての活動を開始する事を、ここに宣言します』
「……。何だこれ?」
「ドッキリ企画か何かか?」
 およそ現実的ではない内容に、客の何人かがそんな事を囁き始める。ぽかんと口を開けて男の演説を聞くケイトも、正直そんな感想だった。性質の悪い電波ジャックか何かか? と。
 しかし、サカキの次の言葉に、それが明らかな間違いだと知る事となる。
『その活動の序章として、たった今より、ロケット団は複合企業シルフカンパニーヤマブキシティ本社ビルを制圧、拠点とし、同時にヤマブキシティ全域を支配下として、新たな国家として独立する事を、同時に宣言させていただく!』
 さらに切り替わった画面を見て、ケイトの同様は最高潮に達した。

 見覚えのある高層ビルが、最上階付近から黒い煙を吐いていた。

「えっ……!?」
 見間違えるはずがなかった。ヤマブキシティ最大の企業、シルフカンパニーの本社ビル。先刻、サカキが名前を挙げた、その建物である。
「おいおい、マジかよ!?」
 客の一人が、訳が分からないという表情で店の外を覗く。ケイトの店の位置からではシルフビルは見えない。実際に自分の目で見ていないという状況が、テレビに映った映像をより一層信じられなくしていた。
『すでにシルフ本社は我々の制圧下にあり、同社社長以下、社員の身柄も拘束させていただいている。都市の内外関わらず、我々へ攻撃の意思が見られた場合、彼らの命に保障はないと思っていただきたい』
 サカキの傍で縄に縛り上げられた壮年の男が映し出され、店のあちこちから悲鳴にも近い声が上がった。
『この放送は各地の電波をジャックし、全国へ放送されている。放送をご覧の方々、特にヤマブキシティ市民の皆さん。抵抗が無ければ、我々はあなた方へ危害を加えるつもりはない。大人しく我々の指示に従ってくれる事を、願う』
 自分たちに話題が及んだ事で、店内の混乱が一気に加速した。悲鳴を上げて店を飛び出そうとする物もいれば、隣の人間と口論になる者もいる。
「ちょっと皆さん落ち着いて!」
 自分も冷静でない事を分かっていながらも、ケイトは声を張り上げる。
 どうしたものかと、茫然と店内を見渡して、そして気付いた。マイとサレナが、いない。
「――え!?」
 思わず取り落としたお盆を拾おうともせず、マイとサレナが座っていた席へと走り寄る。
「ここに座ってたお客さんは……!?」
 すぐ隣の席で頭を抱えている客に尋ねると、
「さっきニュースの途中で慌てた様子で出て行ったけど……気付かなかったのかい?」
 馬鹿な。
 この状況で、外に跳び出て行って安全が保証される筈が無い。
 追うべきか、とケイトが玄関扉へ目をやったのと、その扉が乱暴に開かれたのはほぼ同時だった。
「ロケット団だ! 静かにしろ!」
 鬱陶しいあご髭を蓄えた黒服の男性が、だみ声を張り上げ、どかどかと足音を立てて入ってくる。
「全員両手を頭の上に掲げろ! 抵抗すれば容赦はしない!」
 飛び出す暇も無かった。開かれた扉の向こうからは幾つもの叫び声が聞こえていた。
(……なんてことよ!)
 夢ではないのか、と悠長な事を言っている場合ではないようだ。
 しかし、
「ふざけんな!」
「いきなりやってきて俺たちが言う事聞くと思ってんのか!」
「引っ込め、ロケット団!」
 収まりが着かないのも当然だろう。店内のあちこちからブーイングの声が上がり、ロケット団員の男へと容赦の無い罵声を浴びせる。
「や、やめて皆さん……!」
「うるせぇぞ!」
 ケイトの静止も虚しく、いきり立った男は腰に吊っていた拳銃を天井からぶら下がっている照明装置へと発砲した。耳をつんざく銃声が店内に響き渡り、ケイトは反射的に体を縮こませた。
 店内が一瞬で静まり返る。
「おい、何だ!?」
 発砲音を聞きつけたのか、同じく黒ずくめの格好をした別の男が顔を覗かせた。
「発砲は出来るだけするなって命令されたはずだろ!?」
「だ、だけどよ……」
「もういい、お前は他へ回れ!……失礼した、乱暴な手段に出たくない。大人しくしてくれ」
 落ち着いた口調ではあるが、結局言っている事は一緒だった。だが、今度は文句を漏らす者もいない。
「抵抗しない限り、こちらも手出しはしない。だが指示に従わない場合……先ほどの彼のような団員もいるという事だ」
 テレビからは、サカキの演説が繰り返し聞こえていた。
 避けようのない現実が、純粋な絶望となってケイトを襲う。
 もう何がなんだか分からなかった。理不尽さを呪う前に、すべてが無力感となって霧散していく。

(マイさん、サレナちゃん……)
 二人の座っていた椅子には、まだ温かみが残っていた。
 食べ残されたパスタ。サレナの注文したカルボナーラに至っては、まだ手も付けられていない。
 一体あの二人は何処へ行ったのだろうか。
 言い知れない不安の中で、ケイトに出来るのはただ、彼女達の無事を祈る事だけだった。



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