流星の空に




 一際強く吹いた砂混じりの突風にも、目を閉じる事を忘れていた。
 カメラの望遠レンズを覗いた先――地平の向こうが、薄く上がる砂煙で濁って見えた。
「砂嵐……あるいは竜巻……じゃない、よな」
 ごくり、と唾を飲み込む。つい先程補給したばかりの水分が一気に蒸発しているのが分かった。嫌な汗がシャツを背中に張り付かせ、あるいは髪の毛を伝って鼻先に雫を落とした。
 砂煙のたもと袂から響く低い音が、次第に大きくなっていた。それが耳に届くのと同時に、レンズに据えられた瞳が、これ以上ないほどに見開かれた。
 絞り出した声は、微かに震えていた。
「あれは、……あれは――」

◆   ◆   ◆


 二二八番道路。
 シンオウ地方北端から船で渡った先――ファイトエリアの一部に属する、同地方内でも辺境と呼ばれて久しい土地だ。
 独特の特徴として乾燥した気候が挙げられ、同地方はもちろん、国内でも数少ない砂漠地帯として知られている。
 近隣の火山地帯の活動の結果か、一体の地形は堆積した火成岩が侵食によって削られたものである。吹き曝しの赤黒い岩肌には風食によって穴倉がアットランダムに出来上がり、入り組んだ地形の助けもあって、野性ポケモンが住処を作りやすい土壌作りが自然と形成されている。
 ゆっくりと歩いて回れば、巣作りをするサンドパンとサンドの親子やサイドンとカバルドンによる取っ組み合いの喧嘩。それを囃し立てるように泣き喚くダグトリオの群れの喧騒など、他所ではなかなかお目にかかれないであろう、荒れた大地で逞しく息づくポケモンたちの営みが垣間見える。
 中でも、点在する水辺――俗に言うオアシスには、水を求めて多くのポケモンが集まっていた。中でも目立っているのは、水位の浅い場所に陣取って水浴びに勤しむエアームドの群れと、水浴び場を奪おうと軽い小競り合いを繰り広げるオニドリルの群れだろう。

  ―― カシャッ

 一瞬、乾いた音が聞こえた。至近距離でも認識できるかどうかの小さな音。水辺の草むらから聞こえたその音は、誰にも気付かれる事無く、鳥ポケモンの上げる甲高い鳴き声に掻き消されていく。

  ―― カシャッ

 再び、音。見るに、草の隙間から直径二センチにも満たない小さな筒状の物体が顔を覗かせていた。音はそこから発せられているようだった。
「いい表情だ」
 若い男性の声が聞こえた。草むらの中に、一人の青年がうつぶせに寝転がっていた。この男性は名をレキといい、ポケモン撮影を主なジャンルとする旅のカメラマンだ。シンオウ地方を旅して回っては各地の自然や街並み、そしてそこに暮らすポケモンたちをカメラに写して、かれこれ十年以上は経つ。
 旅立って間もなく、レキはインスタントカメラで自分のポケモンを取る事に興味を持った。それをきっかけにして、旅先で撮った写真を雑誌のコンクールに応募するようになった。いつしか写真撮影は趣味の域を超えて、彼の生き甲斐にまでなっていた。積み重ねた経験は世間にも認められ、遠くはホウエン地方のさる美術館から出品を求められるほどだ。
 ここファイトエリアも、普通なら実力の無いトレーナーの立ち入りは許されない秘境なのだが、そんな土地に入る事を許されたのも、レキの活動が認められての事なのだ。
 西の空に傾きつつある太陽が沈む前には、エアームドを始め、これらの鳥ポケモンは視界の悪化を理由に姿を消してしまうだろう。カメラマンも同じで、日が落ちてしまってからのカメラ撮影は難しい。それよりも前に、取れるだけの枚数は稼いでおきたかった。
 そうでなくても、夜中まで動き回る事が出来ないだろう事は予想されていたのだが。
「確か、荒れ始めるのは夕方からだったよな…」
 レキは腕に装着した腕時計に似た機械――ポケッチに視線を落とした。指先で操作すると、朝方まで滞在していた最寄のポケモンセンターで調べた、本日の気象予報のメモが表示された。昨夜から何度も反芻したその文面を、敢えてもう一度口に出す。
「二二八番道路は……夜になると風が強くなって砂嵐。遭難の恐れアリ。滞在は出来るだけ避けて…」
 やれやれ、という溜め息のような呟きが漏れた。紛らわすようにシャッターを押す。
 レキがこの砂漠に――引いてはファイトエリアに滞在出来る期間は移動日を含めて三日だけという計画だった。滞在が許されただけでも大した物なのだから、与えられた日にちは一刻たりとも無駄に出来ない。
 使い切ったフィルムを入れ替えながら、レキはしばし思案した。傍らに置いた旅用のリュックサックには野営の準備も万全で、このままこの水辺を拠点にキャンプを張り、日を跨いだ翌朝、空が白んでくる頃に作業を再開する……悪くない選択肢ではある。下手に動いて砂嵐の真っ只中で野営するのに比べれば安全性は天と地の差だ。
「木の根元にテントを張れば、あるいは…?」
 きょろきょろと周囲を見回すレキ。乾燥した土地といっても植物は僅かではあるが存在し、水分に富んだオアシスには何本かのナツメヤシが密集して根を生やしている。オアシス自体が周囲の地形よりも落ち窪んでいるから、屋根さえあれば一晩ぐらい凌げなくもなさそうだ。
 ぺろりと舌を唇に這わせる。考えてみれば、もう何時間も水を飲んでいなかった。ぱさぱさな感触の上に知らず知らずのうちに付着していた砂の感じが混じって、そこは体の一部というより砂漠の一部のようだった。風に煽られるたびに形を変える輪郭や顔のパーツを想像して、レキは思わず吹き出した。
「オーケイ、一休みといくか」
 水辺に歩み寄って手を洗う。人里離れた場所だけあって、オアシスの水は綺麗に澄んでいた。水中にポケモンがいない事から、あくまでも水場としての利用しかされていないようだ。ならばこの透明度も頷けた。両手ですくって口に注ぐ。ごくりと喉に流し込むと、体中の渇きが一気に取れていくようだった。
「うん、美味い」
 飲料水として、十分及第点だった。すでに空になっていたいくつかの水筒に水を汲み終えると、レキはリュックに吊るしていた赤白の機械球を手に取った。
「お前も水分補給しておいてくれ、ウル」
 開閉スイッチを押すと、ボールが赤い閃光を吐き出した。閃光はすぐさま形を成し、その中からレキより頭ふたつ分は大きかろう巨大なポケモンが姿を現した。砂の色よりも少し濃い茶色の体毛に覆われ、後ろ足で立ち上がった二足歩行。前足には鋭い爪を備え、胸の丸い模様が印象的だ。リングマ……レキが今回つれてきた唯一のポケモンだった。
 ウルと呼ばれたリングマは主人に一瞥をくれるや、自ずからざぶざぶと水の中に入っていった。水面が腰ほどに来た所で、盛大に水を跳ね上げながら水浴びを始める。普段から仏頂面を変えようとしないウルの意外な姿に、レキは声を上げて笑った。
 心が弛緩していた。撮影の緊張から一時解放された感覚もそうだが、それ以上に、目の前の光景がそれを引き立てているように思えた。
「こいつは……とんでもない贅沢だな」
 湖畔に腰を下ろしたレキの正面で、太陽が今にも大地に吸い込まれようとしていた。巨大な光の塊が水面に映り、その光景は言葉にならない壮観だった。意図しなくてもカメラに手が伸びる。夕焼け色に染まった砂漠のオアシスと、そこで水浴びをするリングマ。どこかユニークな組み合わせだった。


 何度かシャッターを押した所で、レキはふと奇妙な事に気付いた。ウルが水浴びの手を止め、明後日の方向を見たまま硬直しているのだ。見れば、まだ名残惜しそうに水辺に佇んでいた鳥ポケモンたちも同じようにしている。皆がみんな、同じ方向に顔を向けているという異様さが違和感を増幅させる。
「ウル? どうかしたか?」
 返事が無かった。逆光でウルの表情は定かではないが、はっきり見えずとも、オアシスに漂う空気からは、明らかに緊張した雰囲気が伝わってきていた。
「……。ん…?」
 レキも異変を感じていた。湖面が、静かに波打ち始めているのだ。
(地面そのものが揺れている……これは、振動音…?)
 リュックを置いたまま、レキは物も言わずに駆け出した。向かう先はオアシスの窪みの外。崩れる斜面を踏ん張って乗り越え、頭だけ覗かせて周囲の様子を伺う。
 世界は、驚くほど静かだった。砂嵐の予兆か、若干風が出ている。その風鳴りの音以外に、しかし生き物の鳴き声は何一つとして聞こえてこなかった。聞こえるのは、鼓膜の奥に微かに響く重低音。それはまるで、荒野そのものが何かの到来を予感し、通り過ぎていくのを息を潜めて待っているかのようだった。
 そして。
 それは地平線の向こうからやってきた。

◆   ◆   ◆


「ノクタス、サイドン、バクーダ…!?」
 平静を保っていられたなら写真の一枚でも撮っていたかもしれない。砂漠に住む陸上のポケモンが一堂に会す貴重な光景。どころか、それらが大挙して此方へ迫り来る光景を正面から捉えるなど、滅多に巡り合える機会ではないからだ。
 しかし、『それ』が何であるか知ってしまったレキに、そんな事をしている暇は無かった。即座に取って返し、大声で叫ぶ。
暴走スタンピードだ! みんな逃げろぉッ!」
 彼の言葉を、その意味を理解したかどうかは定かでは無いが、水辺の鳥ポケモンたちが一斉に飛び立った。レキは走りながらオアシスの中にポケモンが残っていないのを確認し、ウルのもとへと向かった。
「ウル!」
 互いの表情が認識できる距離まで近付いた時には、ウルは水から上がり、レキのリュックの担いで待機していた。暴走というレキの言葉を聞かずとも、置かれた状況は本能的に理解しているつもりだ。鷹揚な見掛けに似合わず、察しがいい。
「ウル、まずは走れ。そしてよく聞け」
 黙って従う。レキの表情は真剣だった。この時のレキの目は、カメラを構えた時に見せる真摯な瞳ともまた違う、とウルは思った。
「数え切れないほどのポケモンの大群だ。原因は分からないが、真っ直ぐこちらに向かってる」
 走りながら、レキが淡々と言った。ぴり、と空気が緊張した。
「多分、噂に聞くアレだ。このオアシスは直撃コース。群れの横幅が把握できないから、今から逃げても回避できるかわからん」
 ――暴走スタンピード。砂漠のような土地に限った話ではないが、野生のポケモンは時折、大挙して目的も無く走り出す事がある。原因は詳しくは分かっていないが、太陽の黒点の数がどうだとか、地磁気がどうだとか小難しい説は幾つかある。暴走したポケモンたちの波は人の暮らす集落を襲うこともあり、それで壊滅した都市の例もあるという。
 鳥ポケモンを持たないレキたちに出来る、そんな暴走ポケモンの直撃を回避する方法は、進行コース上にあるオアシスを脱出して群れの真ん前を突っ切って横切る事。いたってシンプルな方法だが、ただ、どれだけ走れば横切った事になるのかが不確定で、もし間に合わなければ押し潰されてぺちゃんこにされてしまうかもしれないのが唯一にして最大の問題だ。
 しかし。
 オアシスの斜面を駆け上がり、地平線を曇らせる砂煙に目を走らせる、レキの表情に迷いは無かった。
「ここのナツメヤシの強度を頼りにして凌ぐ方法もあったけどな。……死ぬかどうかの瀬戸際で、じっと結果を待ってるのも癪だろう?」
 気を紛らわせる為だったのだろうか。レキはにっこりと笑った。
「自分の足で勝ち取りたいじゃないか、そういうのは」
 ウルは大きく頷いた。大地を震わす低い音が、微かに耳に触り始めていた。


 いくらかの時間が経った。
「はっ、はっ、はぁ……ッ!」
 どれ程走ったかは定かではない。すでにからからに乾いた喉から擦れた喘ぎが漏れる。しかし、足を止める事はもちろん、水を飲んでいる猶予さえ今の彼らには無かった。地平をに目を配らせると、いよいよその姿が視認できる程度には距離が近付いていた。ちら、ちら、と何度かその相対距離を目算で測り、レキは意を決したように切り出した。
「……ウル、」
 声がかすれて上手く音にならなかったが、ウルはしっかりと反応して主人の顔を見つめた。
「お前は、ボールに入ってろ。本当に駄目だと思ったら、俺がボールだけでも投げて脱出させてやる。……そんな顔するなって。強度の高いハイパーボールなら、たとえサイドンに踏まれたって壊れないさ。俺もボールに入れれば苦労しないんだが、ポケモンの、特権だからな、これは」
 息が苦しくなりすぎて、最後にはレキの顔は歪んだ笑顔になっていた。それだけに痛々しさが増す。しばしの沈黙の後、フンッ、と一度鼻息を荒くして、ウルはレキの身体に、その丸太のような腕をいきなり巻きつけた。
「う、お……ッ!?」
 一気に持ち上げる。惰性で回転する足を宥めながら、レキは声を大にして叫んだ。
「ば、っか! こんなんで走れる訳ないだろう!? 早く、下ろせ……よ!」
 じたばたと暴れる主人に、ウルは野太い声で吼えてみせた。ぴたりと動きを止めたその顔が、ウルのそれと向き合う。水臭い事言うなよ――向き合ったウルの瞳がそう語っていた。
「……。くそッ」
 顔を背け、抵抗をやめるレキに、ウルは心の中で小さく笑った。相棒を信じろ。人の言葉が使えたのなら、ただそれだけ伝えたかった。
 その間にも暴走ポケモンの群れは刻一刻と迫っていた。ついには、ポケモンたちの種類が判別できる距離にまで近付いている。あとどれだけ走ればいいのだろう。目算で一キロはあるだろうか?
「ブルォオオオオオオオオアアアアアアッ!」
 ウルは吼えた。最後の力を振り絞り、猛ダッシュを掛ける。
「頑張れ、頑張ってくれ、ウル…!」
 レキの悲鳴にも似た祈り。はるか後方では、一足早い先頭集団がレキたちの足跡を踏み消していた。目をちらと移すだけで視界に入るポケモンたち。目をギラギラと光らせ、まるでレキたちを踏み潰す事を目標として走ってきたかのように、スピードを緩める気配すらない。
 あと百メートルで抜ける。
 あと五十メートルで。
 あと、あと。
 あと――――!
「間に合わない…!」
 レキは観念したように目を瞑った。精一杯生きようとしたが、何歩か及ばなかった。
 ここで死んだとして、誰かが見つけてくれるだろうか? 踏み潰されて原形も留めず、砂か何かと一緒に混ざってしまった自分たちを、誰が弔ってくれるのだろうか?
 言っても仕方が無い、か。
 ウルと一緒に、もう少し生きたかったのだが。

 その時。
「ボールはあるな!? ジン、上昇だ!」
 声が頭上から降ってきて、レキの身体は信じられないほど強い力で引っ張り上げられた。同時に、ウルを入れようとして握ったままだったボールを無理矢理むしり取られた。唐突に上下した視界にレキは瞳を白黒させるしかない。次の瞬間、眼下を走り抜けていく無数のポケモンたちの頭部を見た気がして、
「お、おい、大丈夫か!?」
 しかし、安堵と共に、恐怖とか絶望とか、そういった類の色々によって擦り削られていた精神が、安息を求めて意識を遠のかせていく。薄れてゆく意識の中、何度も呼びかけてくる誰かの声を聞きながら、レキは最後に、ウルはどうなったんだろう――と思った。

◆   ◆   ◆


 何かに追いかけられる夢を見ていた気がする。
 覚醒したレキは、自分が屋根のある世界にいる事に気付いた。木造の天井の下で、自分はベッドに寝かされている。視線を動かすと、吊り下げられた唯一の光源――ランプに目が行った。手を伸ばしてみたくなったが、力が足りなかった。手が届かない事が妙にむず痒かった。
「ウル…」
 最初に口を突いて出たのは、相棒の名前だった。徐々に回復してきた記憶の終端、誰かに助けられたまでは覚えているが、ウルがどうなって、自分がどうやってここに運ばれたのかが全く思い出せない。
「相棒さんなら、ここだよ」
「……ふえッ!?」
 不意に掛けられた声に、レキは射竦められたように身体の動きを止めた。目線だけを動かして周囲を探ると、部屋の反対側の窓辺に、カーテンの隙間から外を覗く初老の男性を見つけた。いまだに動けないでいるレキに、老人は小さく肩をすくめて苦笑すると、棚に置かれたモンスターボールを手に取った。
「もう体力は戻ったよ。ただ、精神的な疲れがあるのだろうな。君も……動けるはずだが?」
 老人はそういうと、手首のスナップだけでレキにボールを放った。綺麗な放物線を描いたボールは、レキが手を伸ばさずとも、彼に掛かった布団の上に着地した。
「あなたが、助けてくれたんですか?」
 手を杖にして上体を起こす。足はまだ少しだるいが、ウルに担がれていたのだ。怪我があるはずもない。
 老人はつるりと禿げ上がった額に手を当てながら、まぁな、と笑顔を見せた。人懐っこい雰囲気に、レキも思わず微笑む。
「私はカジマ。二二八番道路に暮らしている隠居の爺さ。ここも私の家だし、まぁ少しくつろぎたまえ」
「はい……ええと、僕の名前はレキといいます。改めてお礼を言わせてください」
「礼を言われる柄じゃないよ。……ところで、あんた名前はレキって言ったか?」
「は、はい」
「あんた……いや、レキ君はカメラマンだろう? そうじゃないってったって、装備を見れば一目で分かる。カメラマンのレキと言えば、私はそういう人物を知っているんだが……もしかして」
「……『未完の落胤』、ですか?」
 心の中で思わずにやりとしながらレキが尋ねると、カジマは目をまん丸にして、それだ!と膝を叩いた。
「それだよ、私は昔ホウエン地方のある滝に修行に行っていた時、帰りに港町の美術館に立ち寄ったんだ……その時に見た写真の名前が『未完の落胤』だ! やっぱりあれはあんたの作品だったのか!」
「まさかこんな所であの作品が話題に上がるなんて、思っても見ませんでした」
「私もだよ! 偶然砂漠で拾った男が、ミナモ美術館に作品を展示するような奴だったとは! 人生色々あったが、こんな偶然があるとは!」
 それがどんな作品だったのか、語る必要はないだろう。彼らにとって大事なのは、遠い地で、直接ではない邂逅をした二人が、こんな偏狭の地であいまみえたという事実なのだから。
 互いに握手を交わし、二人は一気に意気投合していった。話題は尽きなかった。
 カジマがホウエン地方でしていた修行の事、レキが今の立場に至るまでの経緯、二二八番道路に暮らすポケモンたち……そしてついには、『あの』暴走ポケモンたちの話に会話が触れた。
「実はここ最近、砂漠に妙な電波が飛び交ってるという噂があるんだ」
「……電波、ですか?」
 おう、とカジマは頷く。
「原因はちょっとは察しが付いてるんだがな、その電波がポケモンたちの脳波にも影響を及ぼしてるんじゃないか、と私は思うんだ。暴走スタンピードってのは――小難しい話になるから簡単に言うが、」
「地磁気とか、そういうものの影響を受けて…?」
「そう、ポケモンが発狂するわけだ。もちろんこれは一時的なもので、走るだけ走ったらポケモンも疲れ果ててぶっ倒れちまう。体力が残ってればいいが、下手をすればそのままポックリお陀仏さ」
「そんな」
「で、その原因よ。確かあんた、ポケッチ持ってたな。ちょっと電源入れてみな」
 言われるがまま、レキはポケッチの電源を入れた。特に異常は無いように思えたが、特定の機能を選択したときだけ画面が上手く表示されなかった。
「全部、電波を受信して情報を表示する機能……ですね」
 いかにも、という表情で、カジマも備え付けのテレビの電源を入れる。案の定と言うべきか、そこには静かな灰色の砂嵐が映るだけだった。
「これも、カジマさんの言う電波の所為ですか」
「ああ。……で、その電波を発してるモトだがな、こうして電波の乱れが強くなってるって事は、じきに来るかも知れねぇ」
「え、来るって何が、」
 刹那、何かが激突したような猛烈な音と共に、カジマの家そのものが大きく揺さぶられた。
 一瞬何が起きたか分からず、レキは目を白黒させるしかなかった。対称的にカジマの表情はどことなく嬉々としており、まるで旧知の喧嘩仲間に出くわしたような印象を受けた。かつかつと部屋を跨いで玄関扉のノブに手を掛けたカジマは、ぽかんとしているレキに向けて、
「こいつが……答えだ!」
 勢い良く扉を開け放った。
「……。え…?」
 レキの眼が、どんぐりのように大きくなった。
 二二八番道路は異様な空間と化していた。いつしか砂嵐は鳴りを潜め、その代わりにギュンギュンと音を立てて飛び回っているのは全長五十センチはある巨大なミサイル。
 ――いや、それはポケモンだ。一瞬だけ見えたその姿を、レキは図鑑で見た事がある。
「ダンバル……の、大群!?」
「ああ、そうだ」
 扉から顔を覗かせ、素っ頓狂な声を上げるレキの横で、老人はにやりと頷く。
 先程家の屋根にぶつかったのもこのダンバルなのか。視界に入るだけでも十数匹、全体で見ればその数は百を越えるのではないだろうか。雲の無い月明かりの下で、赤い目玉をギョロギョロさせたダンバルが蜂の群れのように飛び交う様は、ホラー映画に新ジャンルを作れるのではないか、と下らない想像をさせるほどだった。
 まさに、事実は小説より奇なり。カジマは続けた。
「群れになったダンバルは、互いに電波を飛ばし合って隊列を組むって話だ。その個体数が増えれば増えるほど、当然飛び交う電波の量も頻度も多くなる。既存の電波を狂わせたり、ポケモンの脳波に影響を与えるなら……コレくらいの数は必要だわな」
「大量発生、ってやつですか」
「そうだな。これじゃあ夜中に外で打ち込みの練習も出来ないし、お引取り願うとしよう」
「ど、どうするんですか?」
「このダンバルは、おそらくみんな生まれたての個体だ。電波を飛ばすには申し分ないが、統率を完璧に取るには至っていない。その統率を取っている親玉が居るはずなんだ。そいつを叩けば、後に残るのはダンバルだけ。烏合の衆に過ぎないさ」
 なるほど、と頷きかけようとして、レキは押し留まった。
「しかし、ダンバルだってその親玉だって、きっと子供に餌をやろうと、あるいは狩りの仕方を教えようと思って出てきたのではないでしょうか。それを無碍に追い払うのは…」
「何を甘い事を。……こいつらには悪いが、私だけでなく二二八番道路に生きる者みんなが多大な迷惑を被ってるんだ」
 カジマが声を低くして言った。レキは、カジマの表情が思った以上に険しい事に驚いた。
「……。追い払うだけでいいのなら、僕が」
「ん?」
「僕がこの群れを追い払います。そして、出来るだけこの一帯から離れるように説得します。根本的解決にはなりませんが……どちらもが後に可能性を残せる結果になるなら、やってみる価値はあります」
「……。」
 カジマの鋭い眼光を、レキは真正面から受け止めた。レキの言葉を、カジマはガキの戯言のようにしか聞いていないのかもしれない。ポケモンも人間も、その時々を必死に生きているのだ。それが自分を生かす事になるか、誰か大切な人を生かす事になるかは問題ではなく、その時々にやりたいと、すべきだと思った事をするしかないのだ。カジマも、きっとその事は分かっている。この場合、カジマがすべきだと思う事は自分の生活を守る事だ。そしてダンバルたちの親玉がすべき事は、若い個体たちに世界の仕組みを教える事。食い違うふたつの意見の間に、どちらが正しいという回答は無いのだろう。
「レキ、あんたは甘いよ」
 カジマは冷たく言い放った。
「ポケモンと人間は共存できる。だがな、そこには線引きが必要なんだよ」
 綺麗事では済まない物もある、カジマの言葉にはそんなニュアンスが含まれていた。
「……僕はカメラマンです。ポケモンあってこその職業です。利己的かもしれませんが、この状況下でも僕は、共存の姿勢を貫きたい」
 しかしレキはきっぱりと言い切った。カジマはふっ、と笑うと、にやりと口元を持ち上げた。
「ならやってみな、小僧。もし失敗するようなら、私が全部始末する」
 返事も頷きも無かった。レキは踵を返して家の中へ駆け込むと、ウルの入ったモンスターボールを握って出てくる。
「狙いは親玉ひとつです。親玉の注意が僕に行っている間、こちらでダンバルたちの注意を引き付ける役をお願いします」
 月明かりの下、地面に蠢くダンバルの影の中を走っていく青年の後ろ姿を見遣りながら、カジマはぼりぼりと頭をかいた。
「甘ちゃんの尻拭いたぁ、私も落ちぶれたもんだねぇ」
 どこから取り出したのか、その手にはモンスターボールがひとつ、握られている。開閉スイッチが押され、中から登場したポケモンを見てか、空中を奔るダンバルの群れが、一瞬ざわついたように見えた。
「行くぜ、相棒」
 巨大な竜――ガブリアスが吼えた。偏狭の片隅で始まった戦いを見物するかのように、星が一筋、夜空に流れた。


 ダンバルの群れを統率する親玉――メタグロスは、平べったい円形の身体から生えた四本の足を地面に付け、遠巻きにダンバルたちの荒れ狂う様を見ていた。
 人間の住居を襲うというのはリスクの高い賭けである。人間の下に飼われるポケモンは種類に脈絡が無いだけでなく、野生のそれとは比べ物にならない力量を持っている事が多い。慎重に慎重を重ねなければ、手痛いカウンターを食らう可能性もある。逐次送られてくるダンバルたちからの電波情報に示された、危険指数の高い相手が出現したという内容をそのスーパーコンピューター並みとも称される脳で解析しながら、メタグロスはサイズを含めて徹底した情報の採取を求めた。
 一息つく。こうしてダンバルたちに狩りの仕方を教えるのも、最後にしようかという考えがあった。この狩りが成功した暁には、すべての電波を遮断して、自ら姿を消すのだ。回数を重ねて群れで行動する事を覚えられているのなら、このまま自然の中に放り出しても生きていけるだろう。もちろん、生き残れないものは死んでいくだけだ。
 ――と、情報の早い個体から、居住付近に出現した敵ポケモンから発せられた熱源の情報が送られてきた。同時に、いくつかの個体との念話が途切れる。抵抗が始まったようだ。しかも、情報からして、敵はかなり力量のある個体とみえる。
 続いて、敵の新たな反応が居住とメタグロスの間に発生した。すぐさま近隣の個体を迎撃に向かわせるが、どうやらこちらも力量のある相手らしい。こちらからの攻撃を潜り抜けて徐々に接近してくる。念話が切れる個体がそこまで多くないのが唯一安堵できる事項だった。
「……?」
 遅れて発生した敵に当たっていたダンバルが、混乱の情報を送ってくる。熱源の反応が増加、二手に分かれて一方に突破を許してしまったとの報告だ。
 思念のやり取りがいくらかの間、続いた。居住付近の敵は退く様子を見せず、大量の個体を見事に捌いているようである。ダンバルの数が少なくなれば新たな個体を送り込むだけだが、敵の接近を許している以上、下手に居住付近に戦力を回せない。
 いくつかの個体からは疲弊の報告も出始めていた。ジリ貧になる前にここは退くべきかも知れない。メタグロスが思い始めた、その時。
「見つけた!」
 その声は、メタグロスの左後方から聞こえた。ダンバルの情報ではなく、メタグロス自身の聴覚が捉えた情報だ。
 ――ここまでの接近を許している?
 動体反応を得ていない個体をいくつか呼び寄せ、こちらの援護に回るよう指示を出す。しかし、おそらく間に合わないだろう。メタグロス自身も移動をするが、下手に場所を変えては統率に影響が出かねない。
 ジレンマだった。個を取るか全を取るか。高機能なメタグロスの頭脳だけに、拮抗するふたつの考えへの答えはなかなか弾き出せなかった。
 隙が生まれていた。
「迷うんだな、やっぱり」
 目と鼻の距離。月明かりだけでも互いの顔が認識し合えるまで接近し、向かい合ったその相手は、メタグロスの胸中を見透かすようにそう言った。
「俺はレキ。……率直に言う。出来るだけ速やかに、この二二八番道路から出て行ってもらえないだろうか」
 メタグロスは黙っていた。この人間は何をしにきたのだろうか。身一つで来たという事は、二手に分かれた時に戦力を置いてきたのだろう。自分を倒しに来たにしては、認識が甘すぎる。
「俺は、お前たちと殺し合いはしたくない。こちらには、お前たち全員をいっぺんに戦闘不能にする技だってあるんだ。そちらには不利になるばかりだ」
 何を言っているのだろう。そちらにその術があるなら、今ここで、この人間――レキと言ったか――の喉笛に噛み付いてやってもいい。やがて集まってくるダンバルたちの手で八つ裂きにしてもいい。それだけでも、ダンバルたちの糧にも経験にもなる。
 答えなど、最初から決まっていた。

 轟!

 メタグロスの四足が、猛スピードで大地を蹴った。真正面。レキに向けて。
「!」
 レキの表情が驚愕に歪む。しかしその身体が動く気配はない。ざまあみろ――メタグロスがそう思ったのと同時に、微かに目を伏せたレキの口が、小さく動いた。
「交渉決裂、か。残念だよ」
 一瞬。
  ボゴォッ!!
 メタグロスは真下から強烈な衝撃を受け、反応も出来ずに吹っ飛ばされた。意識の及ばない地中から、唐突に現れたリングマ――ウルが穴を掘って登場し、一撃を加えたのだ。ダンバルたちに応戦させていたのはウルの『みがわり』で作り出した分身。本体はこうして、地中を掘り進んでもしもの為に待機していたのだ。
 炎のパンチ。弱点を捉えた完全な不意打ちに、メタグロスは飛びかける意識を叱咤し、叫んだ。まだだ、まだ終わらない!
 全神経を総動員した。方針転換、すべてのダンバルに告げる。この人間を――
「流星群ッ!」
 レキとは別の、鋭い声が月下にこだました。
 受身も取れずに地面に叩き付けられたメタグロスは頭上の月を見上げ、そこを横切る影がある事に気付いた。翼を広げて滑空する、ガブリアスだった。
 流星群――ドラゴンポケモンが秘めたる竜の力を解き放ち、無数のエネルギー塊として天から降り注がせる大技。流れ星の如く夜空に光るそれが、メタグロスの下に集ってくるダンバルたちを的確に狙って攻撃していた。
 メタグロスは、ダンバルたちからの念波が次々と途絶え、消えていくのを感じていた。
 地中から受けた攻撃のダメージは予想以上に深かった。最初から、あるいはメタグロスの位置を確認したその時から、今の一撃に賭けていたのだろう。致死量ではないが、肢体の駆動や五感の回復まではいくらかの時間が掛かるだろう。
 報復――不意に脳裏に過ぎったイメージを、メタグロスは一笑の下に斬って捨てた。
 ここではないどこかで、再びダンバルが空を埋め尽くす日が来るだろう。しかしそれは、人間に限らず誰かを恐怖させるためのものではない。一体でも多くの子孫を、自然の中で生きていけるように育てる事……この宿命にも似た本能が途切れる事はない。
 天は星に満ちていた。すべてのダンバルからの念波が消えるのを最後まで看取り、メタグロスは意識を手放した。

◆   ◆   ◆


「流れ星は、願いをかなえるだけじゃない、か」
 いまだ流星の余韻を残す静かな夜空を見上げ、カジマは短く呟いた。
 流れ星が消えるまでに、三回願い事を唱えればその願いは叶う――古人の残した無茶な条件は、もしかしたら願う事そのものの儚さをも現しているのかもしれない。
 大地は静寂に満ちていた。
 彼らが見せた大いなる竜の力を恐れたのか、ポケモン達は息を潜め、怯えているようにも感じられた。
「人間は勝手です。自分達の為なら、そこに暮らす命がどうなろうと知らん顔が出来る」
「それは向こうも一緒だろうさ。奴らは住処を求めて……違うな、生き残るために戦った。もし逆の立場だったとしても同じだったろうさ」
 命があれば、命は数だけ生きる場所を必要とする。その糧になるか、ならざるかの差だ。
「結果的に、お前さんも自分の生きる場所を守る為に戦った。その結果、勝ち取ったのさ。それとも、あの場で食い殺されていても良かったって言うのかい?」
「……。わかりません」
 レキはカメラを構えた。
「それでも、僕は信じたいです」
 ポケモンと笑顔で向き合えて、互いに幸せな関係を築ける場所。そんな物は存在するのだろうか。
 今は、世界がそうあらん事を。それがたとえ脆く儚い願いだとしても。


 夜空に一筋、本物の流れ星が光って―― そして消えた。


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