久々知ら上級生たちと別れた後、の向かう先は勿論自室にと宛がわれている部屋だった。通常、その自室と食堂、加えて図書室以外に、彼女の用事がある場所は少ない。
 そんなの後ろから、複数の足音が追いかけてくる。その音の軽さから下級生かと振り返ると、先程まで一緒に神社にお使いに出ていた一年生たちがを呼びとめた。
さん!」
「うん?」
「あの…」
 足を止めさせたわりには、三治郎と伊助はなかなか口を開きたがならない。二人の様子から何らかの事情を察したは、彼らの隣に並ぶ兵太夫に視線を移した。
「…どうしたの?」
「ええっと…この二人は生物委員会と火薬委員会だから…」
「…だから?」
「僕の作法委員会と違って、もともと委員長が不在で、委員長代理を五年生が務めてて、その、尾浜先輩が…」
「あっあの!」僕が言う、と言わんとばかりに三治郎が声を張り上げた。「尾浜先輩は、もしかしたらさんに酷いことを言うかもしれません。でも、あの…」
「いいよ、言ってみなよ」言葉が続かない三治郎に、は努めて──自分でもこれほどここの生徒を(・・・・・・)思いやる声が出るものかと驚くほどに──優しい声を出した。「聞いてみないと何も判断できないから、ね?」
 意を決したように伊助が一つ頷いた。
「──あの、僕たちも、その、『あの人』と一緒にお話ししたり遊んだりしたかったから、最初に先輩たちが委員会とかに来なくなってしまったとき、僕たちだって、委員会に出てる場合じゃないのにって、思ってました。でも、それで、その時に、面倒を見てくれたのが、尾浜先輩だったんです。それで僕たち、途中から、どうして久々知先輩たちは、委員会に来ないんだろうって思って、それで、あの、そうさせてる『あの人』のことが怖くなって、離れました。そういうのを、先輩たちは理解されなくて…あっ、えっと、当時は、の話ですけど。それで、兎に角大変だったけど、尾浜先輩はもっと大変だったと思います。だから、あの、尾浜先輩を嫌いにならないであげてください」
 …凄いことを、聞いた気がする。は、突然の告白に理解が遅れた。しかし、彼の話には納得出来る部分が多い。
 成程、そういうことか。
 一方の伊助は、自分がにとって新たな情報を話したとは理解していない。そもそも今の伊助が伝えたかった部分は彼の台詞の最後だろう。小さな子供たちの先輩を想う気持ちに、はわざとらしく首をひねってみせた。
「うーん…」
「えっ、あ、あの、お願いします!」
「ああ、別に尾浜くんとやらに親しみを持つのが無理とかじゃなくてね、向こうは私に嫌われたところで屁とも思わない気がするけども…って思ったから、三治郎くんが心配することでもないと思うんだ」
「それは…」
 尾浜のことを全く知らないですらそう思うのだから、一年生たちが返事を濁すことも当然だ。
「まあ、嫌いなるというよりは、不快にさせないように努力するっていう方が正しいかもね。そういうお願いだったら、聞いてあげることは出来るよ」そこでは、空気を読まずに口から言葉を零してしまうことが自分の得意技だということに気がついた。「…うん、まあ、多分だけど」
 なんとも不安な返事に、一年生たちは顔を見合わせた。

 三人と別れてようやっと自室に戻ってきたは、後ろ手で障子を閉めて、一つ溜息を吐いた。
「……とは言ったものの、」
 尾浜と話すことが良いと助言をしてきたくせに、久々知はそういう機会を設けるという約束はしなかった。もともと反対気味の鉢屋など言うまでもない。従って、まずにとっては尾浜に会うというスタート地点にすら立つことが出来ないのだ。
「どうするかね…」
ちゃん?」
「え?あ、はい」
 今しがた閉めたばかりの障子の向こうから、にとって聞き慣れた声がした。考え込んでいたつもりはないのだが、足音にすら気づかなかった。
「何ですか?おばちゃん」
ちゃんに会いたいという生徒がいるのだけど。会ってもらえないかしら?」
「──それは、」
 まさか向こうから来たか?タイミング良すぎかよ。
 一瞬の沈黙の後、二つ返事で扉を開けたは、直ぐに自分の希望が外れたことを悟った。おばちゃんの隣にいた男は、随分と、その──老け顔だった。
「…君は、」
「六年の潮江文次郎と言う」
 そりゃ、忍装束を着ていなかったが、その顔の老け具合で生徒と名乗るぐらいなのだから最上級生であることは見当がついた。
「ああ、うん、どうも。です」
「一対一で会っても、逃げられるか、信用されないかと思ってな」
「ああ、だからおばちゃんを介したの。別に気にしてなかったけど」は立てた親指で、くいと自身の背後を指した。「とりあえず、中入る?」
「そうだな、失礼しよう」
「何も出ないけどね。あ、おばちゃんありがとうございました」
「いいのよー。ついでに、話が長くなるようなら今日のお夕飯の支度は遅くなっても良いわよ」
 その配慮に、は「ありがとうございます」と返事をした。今までの忍たまたちの接触から言って、潮江の用件が手短に済むものだとは思えなかった。
「で、何の用事?…って、まあ、用事は一つか」
 どかりと座布団に座った潮江の向かいに腰を下ろし、は問うた。たまにくのたまが部屋に訪れてくるようになってから、の部屋には座布団が常備されるようになった。
「ああ、『天女』のことだ」
 潮江はおおよそ齢十五とは思えない渋い面で唸るように言葉を絞り出す──と思われたが、彼の口調は以外とあっさりとしていた。
「結論から言うが──これまで忍たまたちから教わった情報は全て捨てるべきだ」
 は顔をきょとんとさせた。「…どうして?」口から言葉が零れたのは、ほとんど無意識と言ってもいい。
「あいつらの記憶は正しくない。どれも主観的発言だ」
 あいつらのきおくはただしくない。どれもしゅかんてきはつげんだ。噛み砕く必要すらない単純な潮江の言葉を、しかしは咀嚼し、その先にある意味を理解した。
「…ってことは、もしかして君も、尾浜と同じで『天女』に惑わされなかった一人ってことだ」
「そうだ」
 これはまさかの告白だ。尾浜を訪問するよりも良い収穫が得られるかもしれない。突然の急展開に、は姿勢を正した。これは想像以上に長くなりそうだ。

 潮江の話は、の考えていた仮定に裏付けをする、という意味で、非常に有益なものだった。寧ろそれ以上でもそれ以下でもなかったのだが、やはり様々な証言から予想を立てているよりは、当事者から話を聞くことで確信を持てることは多い。
 しかしこれは、何一つのためにはならない話でもあった。何故なら以前の「天女」の真実を知ったところで、が元の世界に帰ることが出来るわけではないからだ。が求めているのは、「天女」がどのようにしてこの世界に来たのか、そして彼女は帰る術を知っていたのか、という点である。今まで善法寺から始まり複数の生徒から「天女」の話を聞いてきたのは、例えば自身が忍術学園でどのような身のふるまいをすればよいかを考えるためであったり、時にはそれが友好を示すきっかけにもなったからだ。従って、「天女(・・)がいかに普通の人であったか(・・・・・・・・・・・・・)という潮江の話は、身のふるまいを覚え、ある程度の友好関係を手に入れた今のにはそれほど価値のある話ではなかったのだ。あるいは、もう少し早く知ることが出来れば、それほど悩むこともなかったのかもしれないが。
「…で、一つ聞きたいんだけど」
 話を聞き終え、溜息を一つ吐いて出てきた言葉はこれだ。
「なんでこのタイミングになるまで出てこなかったの?」
 もう少し早く教えてくれたなら、喜んだんだろうけども。この問いに、潮江は今度こそ、おおよそ齢十五とは思えない渋い面で唸るように言葉を絞り出した。
「……一つは、友の過ちを正すことが出来なかったからだ。いや、──したくなかった」
「…は?」
 彼の言葉が全く理解できず、は間抜けな、しかしどこか責めるような声を漏らしてしまった。
 潮江は、苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
「あいつらは、確かに許されないことをした。自分たちが『天女』に傾倒するあまり、現実に気づいて離れていった仲間を蔑にした。しかし、全てがあいつらの責任ではないことは確かだ。あいつはらもう、既に十分反省している。更に、『天女』はもういない。だから、あいつらの負担を減らすために、『天女』に多少の罪を着せても、それは許されることだと思っている──彼女にも、罪がないわけではなかったからだ」
「だから、本当の事は自分の中に閉まっておいて、私には話さなかった」
「その通りだ」
「なら、やっぱりなんで今更話そうと思った?」
 潮江と同じように「天女」の情報を伝えてきた立花の場合は、彼の記憶が曖昧であることが彼が名乗りを上げることに時間を要した原因でもあったが、最大の理由は、彼がその曖昧な記憶は自ら掘り起こすほど良いものではないと理解していたからだ。簡単に言えば、目を逸らしていた。突然現れた新しい「天女」もどきの為に、自分の情報を吐く必要性を感じていなかった。しかし、早々にご帰還願いたいという思いと、新しい「天女」が思いの外学園に害をなすことがない──どころか、おばちゃんの助けになっている──ことから、自分の知っていることが何かの役に立てばと彼は名乗りを上げた。
 潮江はまず前提が違う。「天女」本人にはそもそも害はなかったと知っている(・・・・・・・・・・・・)。その上で新しい「天女」に情報をくれてやろうとは思わなかったのだ。それが何故、今になって対面する気になったのか、それはでなくとも気になる部分だろう。
 と潮江の間にしばらくの沈黙が流れる。しかし、その静寂は長くは続かなかった。潮江が大きく息を吐いたのだ。
「…お前は、」
 口を開いた潮江は、どこか呆れたような、叱りたいのに上手く叱れないような、そういった顔をしていた。正当化した自分の意見と、もしかするとに対する罪悪感で、板挟みになっているのかもしれない。頭をがしがしと掻く潮江に年相応のものを感じて、は小さく笑った。
「私は、何?」
 の声色に明るいものを感じ取ったようだ。潮江はこちらを見て、ふと肩の力を抜いた。
「お前は学園で起きた騒動には全く関係がない。最初は勿論、警戒した。が、お前のここでのあり方を見ていると、ただの迷い込んだ町娘と言っても良いくらいだ。おまけに、敵意を向ける我々を気遣うことまでしている」
 したか?とは思った。
「仲間の精神的負担を減らすことを建前に、何の関係もない一人の人生を棒に振ろうとしているのは、前の騒動のきっかけとなった『天女』とやっていることが変わらないのではないかと思った。それに気が付くのに時間がかかったんだ」
 の耳は聞き捨てならない単語を拾った。
「……ちょっ、と、待て。棒に振るって、どういうことだ?」
 まるで、の人生が自分一人の行動でどうにかなってしまうとでも言っているようだ。良い意味でも、悪い意味でも。つまり、もしかして──
「オレは、……『天女』が元の時代に帰ったという事実を知っている」
 ──衝撃。
 それを先に言えよ!の喉がその叫びを飲み込むことがなかったのは、当然と言えば当然だった。





♪postscript
 やっとここまで来ました。

(2015・06・21)

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